自分が生まれてきて世界にプラスになったかなんてそれはわからない - ただ好きに生きればそれでいい
「自分が生まれた世界と生まれなかった世界を考えて、生まれた世界のほうがちょっとでも価値が高まるように生きよう。その差分を広げよう」
という考えがあるが、これはよい考えではあるが少々浅はかと言ってもいいだろう。
たとえば「世界にとってよいこと」という定義は非常に難しい。何が良いことなのか、それは人間にとってなのか、動物はいいのか、自然はいいのか。たとえば人間にとってだとして、一人の女性を愛して結婚して一生を共にしたとしよう。その一人の女性に幸福を与えて、世界にプラスになったと思うかもしれない。だけれどもその女性が別の誰かと添い遂げていればもっと幸福だったかもしれない。その場合は自分が生まれたことによって生まれなかった世界よりもマイナスになってしまったことになる。
たとえば会社を作って社会に貢献したとしよう。しかし会社が赤字ならば社会にとってはマイナスを及ぼすことになる。マイナスの価値しか生み出さない会社が社会に居座ることによって、ほかのもっとよい会社の進出を妨げているのだから。しかし、10年間の赤字を続けてその後大成する会社もある。多くのITスタートアップがそうであるように。10年間の赤字を続けてつぶれてしまうかもしれないし、10年間赤字を続けた後、大成功して赤字を100倍取り戻すかもしれない。
それは誰にもわからない。だが失敗を恐れて何もしないのであれば、それこそ世の中は何も始まらない。一人の女性を愛することによってその人を不幸にしてしまうかもしれない。でもそれでいい。自分が生まれることによって、自分の行為によって世界がプラスになったかマイナスになったか、そんなこと考えなくてもいい。マイナスが転じてプラスになることもあれば、プラスが転じてマイナスになることもあるのだから。
ただ一つ心がけることがあるとしたら、他人のマイナスに思える行為を見たとしてもそれを許すことだ。それがマイナスかプラスかは現時点ではわからないのだから。