他人になりたいと思う? | 木下英範のブログ

他人になりたいと思う?

今、あなたは誰か他人になりたいと思うだろうか。もし、あの人になれたら、入れ替われたらどんなに幸せかと。だが、おそらく歳と共にそういう気持ちは小さくなっていくはずである(少なくとも自分はそう思う)。

それはなぜか。それは徐々に自分を乗りこなせるようになっていくからだ。自分の長所や短所、どうやったら自分は喜ぶか、どうやったら悲しむかを知っていく。そして自分の才能や向いていることに目覚めていく。

知識というと、外部からの影響や、経験から来る認知だけを想像しがちだが、「自分に対する知識」もまた重要な知識である。

だからある程度自分の乗りこなし方をマスターしてくるともう他人になりたいという感情は起らなくなる。今から他人になったら、また一から自分分析をやり直さなければならないのだから。

「恐怖」というものは自分の外側にあるのではなくて、自分の内側にあるものだ。外部からのある刺激に対して、自分がどういう反応を示すかわからない。これが恐怖である。どういう反応を示すか(めげるにしても泣くにしても)がわかっていれば恐怖にはならない。恐怖とはすなわち自分の内なる未知の部分なのだ。

また、「幸福」も同様に自分の内側からわき上がってくるものだ。自分はどういう存在なのか。どういうことに真の喜びを見いだすのかを知っていれば、自ずと幸福はわき上がってくるだろう。

自分を知るには少なくとも30年はかかる。今、私は35年かけて自分という者を知ってきたが、さらに上があるのだろうか。いやたぶんある。40歳、50歳になって今の自分を振り返ったとき、なんて自分という乗り物の運転がヘタだったのだろうと思うことだろう。それは楽しみなことである。