人を信じること | 木下英範のブログ

人を信じること

人を100%信じていこう。ときにはだまされるかも知れない。詐欺に引っかかるかもしれない。それでも100%信じていこう。だまされたっていいじゃないか。命まで取られることはない。詐欺師だって好きでやっている者はいない。仕方なく嫌々やっているんだ。

「良心」というのは人種や宗教を超えて共通のものだ。どんな国や環境に生まれようがなにが良いことか、悪いことかは直感的にわかっているはずだ。生まれつきわかっているんだ。子供を愛さない親はいないように。だから信じよう。他人を自分を。人を100%信用しよう。

「信頼」はコミュニケーションの効率を上げ、生産性を上げ、社会を豊かにしてくれる。逆に信頼がない社会は荒廃していく。人は信じて貰えないからウソをつくんだ。だから人を信じて生きよう。

100%人を信じて生きる人生ではときにひどい裏切りに会うかも知れない。それでもその人を許して、次からはまた信用しよう。

これは非常に難しいこと。でも努力しよう。人を100%信じられるように努力しよう。人を100%信じればウソは必要なくなる。自分がウソをつくことから解放される。

だまされてもいい。でも自分は人をだましてはいけない。人をだまして一時的には成功するかもしれない。でも長期的には決して成功しない。それは世の中を見回してみれば、詐欺師よりも正直に誠実に商売をしている人が多く成功していることからもわかる。

「正直者は馬鹿を見る」とよく言われる。たしかに馬鹿を見るだろう。しかし同時に幸福を手に入れることができる。不正直は馬鹿を見ないかもしれない。しかし長期的に幸福になることは決してない。

信頼関係を築くというのはウソを許さないということではない。ウソをつかれても許して、なおその人の本質を信頼していくということだ。

その場の雰囲気や防衛心によりウソをついてしまうときもあるだろう。その場合にはすぐに謝って、そのときの気持ちを正直に説明しよう。相手が謝ってくれたときには快く許そう。たとえ謝らなかったとしても本人は罪悪感を感じているはずだから許してあげよう。

人を信じればお互いに正直になれる。例えどんなに怪しく見える人でも信じてあげよう。少なくとも最初は信じてあげよう。そうすることでどんなにその人が救われるか。そして初めてその人は正直になることができる。

人を疑う世の中よりも人を信頼できる世の中の方がいいに決まっている。そのためにはまず自分から人を信じることだ。人を100%信じて行動してみよう。はっきり言って今の世の中はウソも欺瞞も少なくない。だから人を100%信じて生きると傷だらけになるだろう。それでもそういうふうに生きていきたい。どんな仕打ちを受けても折れない心を、どんなにだまされてもその人を恨まない心を私は欲しい。ウソをつかれてもその人を信じ続けられる強さが欲しい。