何のための原因究明か
現在言われている今次経済危機の原因としては次のようなものだ。
世界的なマネーの過剰流動性と低金利が同時に進行し、適切な規制や監視がない中で信用貸付は安易に増大していった。さらなる高利回りを求めたグローバル資金は各種デリバティブ商品の開発を歓迎、これを購買し、信用のロングテールは誰にもわからないほど深く長く伸びていった。そうして形成された信用のチェーン、世界的な資産バブルは米国サブプライムローンの破たんをきっかけに崩壊することとなる。
さらにさかのぼると、BRICs各国はその安価な労働力と技術革新によって先進国を相手に商品を売り、膨大な量の貿易黒字を計上していた。アジア通貨危機の教訓から各国はそれを国内投資に回さず、外貨準備として積み上げていった。こうして世界の(まだ投資されていない)マネー量は増大していく。そうして過剰流動性は作られた。
さらにさかのぼると、グローバル化した世界はITによる情報伝達、業務効率化がよく効くから、世界的なIT投資ブームを呼び込んだ。しかし行き過ぎたIT投資はバブルを醸成し、そして崩壊した。ITバブルの崩壊以降、その清算、修復を図る過程において低金利が容認された。
さらにさかのぼると、まずベルリンの壁の崩壊によって東西冷戦が終了した。すると東側の安価な労働力が西側に流れ込み、世界全体の生産性を向上させるとともに、経済をグローバル化した。それはBRICs台頭の嚆矢(こうし)となる。
というのが一応一般的にされている考察だと思うが、原因を考えても実は意味はない。というのは原因というのは非常にたくさんあるからだ。決して一つに絞ることはできない。なるほど一番最初のきっかけは一つの事件かもしれない。しかし、物事というのは次々に連鎖反応を起こし、スパイラル的に進展していくものだ。しかもある要因はほとんど時間を置かずしてほぼ同時に起こる。それぞれの要因はギアのように噛み合っており、ひとつの要因の動きは同時に他の要因も動かす。ひとつの原因を改善したところでほかの原因が大きくなってしまうこともある。また、結果をコントロールするのに原因にアプローチするのが適切だとは限らない。まったく原因とは関係のないところから介入していったほうが早急に結果を改善できることもある。だから一番最初は何だったのかを究明して、それを改善したところで解決するわけではないのである。
また、すべての原因なんてものは誰にもわからない。わかったとしてもすべてのギアを同時に回すことは不可能だ。逆にいえば一つを動かせばギアは逆回転し得るのである。必要なのは、どのギアを動かしてギアを回転させるかである。だからこの意味で過去を振り返って原因を探すのは意味があるかもしれないが、ただ単に「今次危機の原因はなんだったのか」と騒いでいるのはまったくナンセンスである。
1つの結果に対して必ずと言っていいほど複数の原因が存在する。そして原因同士は複雑に絡み合っている。たいがい原因の関連性は複雑すぎて解くことができない。原因究明も大事だが永遠に終わらない。だからある程度のところで見切りを付けて、あとはどうやって結果をコントロールするかに思考をシフトしなければならない。