「急がば回れ」を再考する
「急がば回れ」ということわざは使い古されています。今さら言われてもピンときません。でもこれはとても深くて意味のある言葉なので、ことあるごとに再考する必要がありそうです。
というか、「急がば回れ」から想起される指針や行動を実行に移していくというのではなくて、いろいろな物事の本質を考えていると、いつの間にか「急がば回れ」にたどり着いていることが多いと感じるのです。
たとえば、自分の給料をアップさせたいとして、
①がむしゃらに働く
②どうすればいいか研究する
の2通りが考えられます。
この場合、短期的には①のほうが効果があります。しかし、長期的、そして本質的には②のほうが絶対に有効です。「どうすればいいか研究する」とは、お客さんが何を望んでいるか、上司が何を望んでいるか、職場のみんなが何を望んでいるかをよく考えた上で行動に移すということです。
この場合、考えているときは停滞します。一見遠回りなのですが、その後の行動における効果に差が出ます。
問題は、この一見停滞に見える時間をいかに我慢できるかです。ときには停滞時間が長期にわたる場合があります。失敗かな?とあきらめようとしたときに一気に進みだすこともあります。
もちろん研究や勉強ばかりしていて行動に移さなければ何の価値もないので、常に行動を踏まえた研究をしなければなりません。「とにかくやってみる」という精神も大事ですが、この場合の「やってみる」とは研究のためのデータ収集が目的の「やってみる」です。やってみたら結果を検証して考える時間を作る。あせらずに確実に作戦を練る、ということが大事です。
とにかく停滞したときには、急がば回れの「回れ」をしているところなのだな、と自分に言い聞かせて落ち着いて対応することです。