辞書の作られ方 - 辞書は法律ではない
よく言葉の定義でもめたときに、辞書を引いてみようということになる。そして、「ほら、辞書にこう書いてあるではないか」といって結論付ける。また言葉遣いや文法について、辞書を引いては言葉が乱れているなどの議論がいつも巻き起こる。
確かに新しい言葉や文法の過度の濫用は意味が通じづらくなるため避けたほうが懸命だが、盲目的に辞書を絶対視するというのも正しくない。
それは辞書がどうやって作られるか、辞書の編集の過程を考えてみるとわかる。
辞書の編集者がある単語について、その定義を記述しようとしている。その場合、編集者はその単語について、その言語圏で使われている用例を出来る限りたくさん集める。それぞれの用例について頻度や歴史から重み付けをし、最大公約数的に中庸点を見つけ、定義とする。
例えば「自然」という単語について、その意味を書き出す場合、それがどういう使われ方をしているのか全国津々浦々に出向いて調べる。そして、数々の用例から要約するとどうやら次の2つの意味に集約できそうだとする。
(1)おのずから存在してこの世界を秩序立てているもの。
(2)行為や態度がわざとらしくないさま。
この2つの意味は少し違うため合体できない。そこでこの2つを並列して辞書が完成する。
【自然】
(1)おのずから存在してこの世界を秩序立てているもの。
(2)行為や態度がわざとらしくないさま。
この過程で編集者は一切恣意を持ち込んでいないことに注意していただきたい。もし編集者の一存で言葉を定義してしまっては、編集者は言葉を作る神となってしまう。
このように、まず言葉ありきで、人々が日常その言葉をどのように使っているかを調べてそれを記述したものが辞書である。決して辞書が先で言葉が後ではない。人間が辞書に準ずるのではなく、辞書が人間の言葉に準じなくてはいけない。
つまり冒頭の「辞書に書いてあるから正しい」というのは矛盾を含んでいる。
言葉の定義というのは時代と共に変わる。辞書とはリアルな言葉の「一瞬だけ」を切り取って紙に書いただけのものである。我々が話している言葉、あなたが今話している言葉に比べれば辞書に書かれたものは紙くずほどの価値もない。
我々はともすれば辞書(過去の言葉遣い)を絶対視しがちである。しかし、今まさに我々がしゃべっている「リアルな言葉」こそが真実なのであって、辞書が正しいとは限らないということを常に意識しておくことも重要である。
「辞書を書くということは、語の『真の意味』についての権威的な叙述を打ち立てる仕事ではなくて、種々の語が遠いまたは近い過去に著者たちにとってどんな意味であったかをできるだけ忠実に記録する仕事である。辞書の書き手は歴史家であって法律を作る人ではない。」
(S.Iハヤカワ)