残業はやっぱりしないほうがいい | 木下英範のブログ

残業はやっぱりしないほうがいい

少し前は残業はいいことだと思っていました。質の良いものをたくさん作るには時間を要します。つまりたくさん働くほうが世の中に貢献できると考えてきました。でも今は少し考えが変わってきましたので書いておきます。

まず、仕事の定義を価値提供という面から考えてみます。現在、我々はたくさんの便利なもに囲まれています。また、たくさんの人々のお世話になっています。今朝食べた朝食がどういうプロセスで自分の口に入ったかを想像するとわかります。それら全てを自分一人で作り出すことはできません。現代の文明を維持するには相互援助が必要になります。一人ひとりが歯車のひとつになることによって、装置全体からの成果物を享受することができるのです。

仕事というのは、誰かが必要としているモノやサービス(価値)を提供するために、自分のスキルと資源を会社という変換装置を通して価値に変換する、その変換作業を言います。

何かを必要としている人がいて、その必要とするものを作ってその人にあげる。するとその人の不満が解消され世の中が少し便利になるわけです。世の中が便利になったということは文明が少し進歩したということです。その積み重ねで少しずつ、便利で住みやすい世の中になっていくわけです。狩猟時代の危険がいっぱいで済みにくい世界から、人類は連綿と価値を創造し続け、現在の安全で快適な世界へと変遷させてきました。

前置きが長くなりましたが、では仕事の質と量を高めるにはどうすればいいかというと、生産性を高めるのと量をこなすことです。効率よく仕事をすればするほど価値は生産されます。また、たくさん仕事をすればするほど価値は生産されます。しかし、効率よく仕事をするというのはなかなかむずかしいことです。たくさん仕事をするというのは簡単です。長時間仕事をすればいいのですから。ですから、やはり長時間仕事をする人のほうが、普通は生産量は多いです。

しかし、全体的な文明という観点からみると、長時間労働だけが文明を発展させてきたのではないことがわかります。人類の生産手段は「狩猟採集」→「農業」→「工業」というように発展してきました。狩猟採集時代のときに、長時間労働に重点をおいていたらどうなっていたでしょう。農業は生まれなかったでしょう。なぜならば農業というのは効率よく食料を生産して楽をするというやり方だからです。農業を発明することによって人類は24時間気の抜けない狩猟採集という生産手段から開放されました。そして余った時間で物資の貯蔵や、生産管理、品質改良に時間を割くことができたのです。そして飛躍的に生活が改善されました。産業革命も同じことです。どうやったら効率よく楽ができるかという発想から機械化の進化が起きたのだと思います。

すると、長時間労働を善とする意識からはこの飛躍的な発展は生まれにくいことがわかると思います。したがって長時間労働をするというよりも、どうやったら効率よく仕事を終わらせることができるか、楽ができるかという発想も大変重要なのです。それは遊びたいから早く仕事を終わらせて帰る、という発想でもまったくOKです。なぜなら上記の進化も最初はおそらくそういう発想から始まったことだからです。余った時間を新しい発明に割り振れるのですから。発明というのは最初は単なる遊びから生まれる実用性のないものが多いものです。

どうやったら仕事を早く終わらせて残業しないで楽ができるか、そういうところから産業革命の次の革命が芽吹いてくるのかもしれません。