ルールの意味を理解すること | 木下英範のブログ

ルールの意味を理解すること

 どの国家にも法律があります。法律に違反した者は罰せられます。社会において人々が求めるものは自由です。自由が最大限保障されたとき人々は幸福を感じるでしょう。しかし、法律のない、まるっきり自由な世界にしてしまったらどうでしょう。太古のジャングルの狩猟採集民同様に、弱肉強食の世界になります。そうなると常に緊張を強いられる世界となり、うかつに外を出歩くことも不自由になります。そんな世界では逆に自由は奪われてしまいます。

 そこで人々は国家を作り、国家が人々を監視することで、最大限の自由を得ようとしました。法律とは自由を守るために制定されたものです。しかし、国家が無制限の権力を持ってしまうと、逆に自由は奪われます。よって法律は、国家による必要以上の拘束を防止するための、国家権力に対する足かせでもあるのです。自由を最大限に享受しようとするには、このバランスが重要になります。

 ですが、法律はその遵守を強制的に強いてはいません。法律は守らねばなりませんが、同時に法律を破ることのできるようなシステムになっているのです。犯罪はしようとすればできます。もちろんその後で罰せられますが。言ってしまえば、現在の社会においては「犯罪を犯す自由=法律を破る自由」は保障されているということです。

 赤信号は渡ろうと思えば渡れます。殺人だってやろうと思えば可能です。こうした行動を強制的に止めることはできません。

 もし、強制的に法律を遵守させる世の中であったらどうでしょう。赤信号のときは強制的にエンジンが切れるように車両を規制します。殺人を犯そうとすると頭につけた電極に電流が流れ、意識不明にします。たしかに、このような社会では犯罪は一切起きません。TVゲームであれば、このほうがわかりやすくていいでしょう。しかし、こういう世の中が暮らしやすいといえるでしょうか。

 たとえば、親が危篤だという知らせを聞いて、車で病院に急いでいるとします。しかし赤信号で停車してしまいました。左右を見ると見通しの良い交差点で、見渡す限り歩行者や車が来る気配はありません。私はこの場合は、赤信号であっても渡っていいと思うのです。

 逆に車通りが激しく、安全が十分に保障されない場合は渡ってはいけません。うまく渡れば自分は大丈夫かもしれません。しかし、自分の行為で他の車が操縦を誤り、歩行者の列に突っ込んでしまうかもしれません。交通ルールは自分の命を守るためだけにあるのではありません。自分のせいで不本意にも殺してしまうかもしれない他者の命を守るためでもあるのです。

 ルールとは、必ずそれを破れる自由とセットになって存在するものです。よって、決まりはあるが、それを破っていいという、暗黙のルールも法律には内包されているのです。それを最も有効に運用するには「なぜこのルールが制定されたのか」の理解がかかせません。

 これは法律に限らず、あらゆるルールにいえることです。

 現代社会で暮らす上ではこの微妙なバランスの上に成り立っているということを認識しなければなりません。破ろうとすれば破れるルールを守る。個人が自立し自由を謳歌するためには、自分を律するという態度が必要です。「自立」と同時に「自律」の精神が重要なのです。

 ルールは守ればいいというものではない。ルールの意味を理解すること。これが最も重要だと思います。