理由はすべて後付けなのです
人は、物事を決定するときや、他人に説明するとき、その決定には必ず理由があると想定し、「こういう理由だから、こう決定したのだ」と説明しようとします。それは理由が先にあっていろいろ考えた結果結論に達した、という視点に立っているからです。 しかし、理由というのはすべて後付けであって、仕方なくつけていると思うのです。 人間以外の動物は物事の決定に理由など必要としません。すべては勘とでも言うべき判断によって決定されています。生きるうえでの選択に迫られた場合に、どういう選択肢をとるか理由を検証したりはしません。また 自分の気持ちを仲間に伝えるときも理由を付随させたりしません。 人間もまた動物であるので、根本のところでは勘で決定していると思うのです。ただ、それでは人間界では他人を説得することはできません。よって「仕方なく」理由を付け加えているのです。つまり、理由を考える段階ではもう結論は決まっているのです。勘で決めたことに理由などつけられるはずがありません。しかし理由をつけなければ他人も自分も納得しないので、無意識に理由を探します。そして、あたかも最初に理由があったかのように錯覚しているのです。ですから、人の判断は論理的に必ず正しいとは限りません。しかし、論理を超えたすばらしい判断をすることもあります。 それをよく理解した上で人に理由を説明したり、人の理由を聞いたりすると、論理的に考えると納得のいかないことでも少し理解できるようになります。 と、今まで書いたことも「勘」なので、正しいとは限りません。