11月27日 午前3:48


父が霊山に旅立ちました。


享年 73歳でした。




主治医の話をした次の日に病院の相談員とも話し、口から栄養が取れるようになったら、在宅介護にする旨を伝え、その足で病室の父にもそのことを伝え今までは娘が

「じいちゃん、頑張ってね」と伝えても、「ううん」と首に横に振る父でしたが、私が「まだ退院は難しいみたいだけど口から栄養が取れるようになったら、うちに一緒に帰ろう。

私も腹を決めてお父さんの面倒見るから、だから頑張ろう!」と言ったら「うん」と大きく頷いてくれ「その代わり、わがままは許さないからね」と言うと「わかってるよぉ~」と回らない口で言ってたのが最後となってしまいました。


その後、半そでを着せられていたので勿論寒いだろうと長袖に着替えさせていたら看護士が来て一緒に手伝ってくれました。


そのまま父は寝てしまったみたいで、夕方家に帰り、家で私は寝て、明け方2:55に病院から電話があり、急いで駆けつけましたが、「30分前に心臓は止まりました。最後は眠るように亡くなりました。」と。。。


病院までは日中だと1時間くらい掛かるのですが夜だと30分くらいで着くのですが、電話貰って15分位ですぐに逝ってしまったようです。


葬儀屋さんに電話だとかしないといけなくて一度家に帰り、父が生前着ていた服も持って行き病室で一緒に最後の整えを手伝わせて貰い洋服に着替えたところ、お腹なんてえぐれていて、腕や足など凄く細くて、これは立派な栄養失調だ!と思いました。


しかしながら、父は 半眼半口の見事な成仏の相でした。


倒れてからはずっと病院生活でしたから、葬儀屋さんの霊安室ではあまりにも可哀相かなと思い我が家に連れてきてもらいました。


皆さんに見守ってもらい、無事に通夜・告別式も終え今は遺骨になって我が家に居ます。


でも、最後に父に「うちに一緒に帰ろう。私が腹をくくって面倒見るから」と言えた事。


それが、父にとって一番嬉しかった言葉だったのかも知れません。


だから安心して逝ってしまったんだなぁ~と思います。


病院に行くたびになんて励ましてあげたら良いのだろう?とか辛いのに励ましてばかりでは酷なのでは?とか色んな思いがあり、父になんて声を掛けたら良いのだろうと悩み祈っていた時に自然と出た言葉でしたが、今思うとそう声を掛けられて本当に良かったと思います。


まだ元気だった今年の9月の5連休の一泊二日のお墓参りに父も一緒に行けたこと、その時、自分で買ったお墓に今は母が眠って居ていずれ自分が亡くなったときは此処に入るんだよと伝え「うん」と言って自分で確認できた事、妹の赤ちゃん誕生の事も男の子だったよと赤ちゃんの写メを見れたこと、全て父の中に入って、その事を先に逝った母に伝えてねと言って「分かった」と言っていた事等、父は全て見て逝った事、全部意味があったんだな~と思います。


告別式の時に最後に娘が父に手紙を読んだのが我が娘ながらに泣きました。


前の日に私が喪主の挨拶を考えていたら、次の日の朝、じいちゃんに手紙を書いた。と持ってきたので読んで見たら本当に思いが伝わって、これをぜひじいちゃんに聞かせようと思い、司会の人に頼んだら告別式が終わり、初七日法要の前に入れてくれました。

娘も半分泣きながらも頑張って父に最後の言葉を伝え、その言葉を聞きみんな泣いてくれていました。


我が娘ながら思いやりの心が育ってくれていて本当に嬉しかったです。


親孝行したい時に親は無しとはよく言ったものですね~。


いつまでも居てくれるわけでは無いのでホント急に来ますからね~


散々泣いたから目が腫れておりますw