渡辺 崋山(わたなべ かざん、寛政5年9月16日(1793年10月20日) - 天保12年10月11日(1841年11月23日))は、江戸時代後期の画家であり、三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩士であり、のち家老となった。通称は登(のぼり・ただし一部の絵には「のぼる」と揮毫)、諱は定静(さだやす)。号ははじめ華山で、35歳ころに崋山と改めた。号は他にも全楽堂、寓画堂など。

$シロップとそよ風の語らい


幕末の蘭学者としても知られる三河国田原藩の家老・渡辺崋山は、人と交渉する際に心掛けるべき教訓として「八勿の訓」を掲げた▼“感情に流され、平常心を失ってはならない”“表情は冷静に、心は温かく”など全8条のうち、最後に彼が綴った一文は、“基本が確立していれば、あとは皆がそれに従う。その基本とは誠実である”というものだった▼昨今、「交渉術」を説く本が多い。“日本人は交渉下手”とか“国際社会で発言力を高めよ”等の意見も耳にする。が、要はテクニックではないのだ▼カンボジアや旧ユーゴで紛争調停を指揮した明石康・元国連事務次長は、こう語る。「調停者は雄弁である必要はない」「滔々と捲し立てるよりも、まずはグッド・リスナーであるべきだ」(『「独裁者」との交渉術』集英社新書)。しかも、これは調停のプロたちに共通の意見だという。よい聞き手であれ!――これも「誠実」と一脈通じる話であろう▼目標に真剣であれば、人は誠実にならざるを得ない。「相手がだれであれ、誠実を貫き通していくことだ。最後は『誠実』が勝利する」+“誠実こそ最大の武器”