シロップは小さな頃から、モノづくりや創作することに熱中して来ました。
日本で初めて、発売されたグリーンコンピュターを小学校のころに友達とゲームのソフトをつくったりするなど。
それが、私とのコンピューターの出会いでした。当時、こんな、わけの分からんもん考えたの誰や!っと
思ってました。あまり好きではなかったのに熱中してしまったのです。
中学生になると私は、毎月学研のモモコと言う雑誌と毎週発売の小学館のFMレコパルを発売されるのが
毎日、楽しみでした。友達とは新しい音楽の話題やオーディオの機器の話ばかりで休み時間になれば友達と
ゲームのプログラムを作るのが日課でした。学校の勉強はそっちのけでプログラムを書いていました。
担任からは、バケツをもって外にたっていなさい!っと言われた日もありました。
ある時、学研のモモコの特集号で「JVCオーディオのデザインコンテスト」があり、早速、私は手書きで
パネルのデザインを書き応募を何回もした結果。雑誌に載せて頂くことになりました。
その後、中学生の私は大阪門真市の松下電器産業株式会社の本社へ松下幸之助さんに直接電話をしました。
いろんな会話をしていたら友達になり、松下さんからもいろいろ私に指導されました。
そこで、当時、松下電器のオーディオ事業部はなかなか売り上げが伸びていませんでした。
いろんな、提案やデザイン企画書を東京のパナメディア銀座で本社の人と打ち合わせをしました。
その後、発売した製品はヒットしました。おかげさまで、グットデザイン賞もとりました。
そこには、多くの人たちからアドバイスを頂き力になって下さったからです。
私は、当時一番大切にしていた物は、小学館のレコパルでした。なのでレコパルで育つた1人です。
こんな質問を松下さんから質問されました。「私は、今パナソニックというブランドに社名を変更しようと思うが」君は、どう思う。私は、まだ時代的に早すぎるなどと言いました。
なぜ、松下さんはパナソニックにこだわったか松下さんはビクターのニッパーが好きだったからなのです。だから松下さんは戦後焼け野原になったビクターの工場を救ったのです。
「ニッパーロゴはいつも蓄音機のラッパから多くの声を聞いている。」っと松下さんが言われました。パナソニックは多くの人の声を聞き商品にしていくと言う意味なのです。

松下幸之助は、当時私に語りました。「私は日本人だしこの日本が大好きや!だからこの日本の国に危機が来たら私は、松下電器あげてこの国を救いたい。会社を捨ててもどんなことでもしてもや!君も日本が好きだろう。」っと対話しました。松下幸之助は日本の未来のことも真剣に考え日本の未来も読んでいたのです。

その後シロップ_821は成長して、身長が180センチになりある、社長さんが私の所に1台のコンパクト
パソコンを持って来ました。マイクロQです。製造は米シリコンバレーで台湾で発売された商品です。
その英字のパソコンを操作して遊んでいました。
ある時、米シリコンバレーから来た日本人が長野県のある所で輸入パソコンを販売していました。
私は、そこへいきました。田中さんは日本に初めてゲートウェイを持って来た人です。
そのひとから、孫正義のこととかビルゲイツのお話を聞きました。
そこではじめてバナナパソコンをいじりました。バナナのロゴです!!リンゴではないんです。
田中さんは、3年間お話をしてきた人です。田中先輩はガンでお星様になってしまいました。
残念ですが・・・
田中さんは私によく言いました。「青年はかってでも苦労しなさい。」
人生、後から見れば、その答がわかるよ!!

つづく・・・・・

$シロップとそよ風の語らい
ビクターのロゴで犬の名前はニッパー

私は、日本で初めて開発された大きな大きな、ワープロの1号機を持っています。
それとプリンターも保存してあります。宝物です。