私は玉村豊男さんの文章が大好きです。
玉村豊男さんのエッセー集「隠居志願」に
すっごく共感できる文章が載っていました。
- 風評人生
私が原稿料をもらて原稿を書くようになったのは
二十七歳のときだが、駆け出しの頃は、
日がな一日アパートの小さな部屋にこもって
ひたすら電話のベルが鳴るのを待っていた。
出版社から原稿依頼の電話がかかってきたときに
すぐに出られないと、その仕事は他の同業者のところに
いってしまうに違いない。
そう思うと、おちおち外出してもいられなかったのだ。
原稿の依頼は、新聞や雑誌の編集担当者が
著者に連絡を入れてから話がはじまる。
こちらから売り込んで成立する仕事は
めったにないので、ただ先方から注文が舞い込んでくるのを
待つのが書き手の立場である。
そうやって、四十年間待ち続けて今日に至っている。
六十歳に近くなってから客商売をはじめたが、
レストランも、向こうからお客さんがやってくるのを待つ商売だ。
宣伝をしても来てくれるとは限らないし、
街を歩く人の袖を引いて店に連れ込むわけにもいかない。
編集者も、レストランの客も、
どこかで情報を得てその著者なり店なりの存在を知るのだが、
最初に知るのは情報というより不確かな風評だ。
もちろん、結果を出せば次の注文につながる、
ということはあるけれども、評判や人気の大半は
あやふやな風評によってかたちづくられる。
だから、私の人生はつねに風評に左右されてきたし、
いまも風評に左右されている。
その意味で私にとっては風評がすべてであり、
風評被害は実害そのものなのである。
風が吹けば飛ぶような人生、というのはこのことだろうか。