21. 聞くこと ( 2005年 9月25日 )
人の話を「聞くこと」ほど難しいことはありません。
でも、「聞くこと」の効果は絶大です。
SYPプログラムのタイムマネージメントのポイントは、「効率」から「効果」へ。
特に人間関係では「効率」よりも「効果」に焦点を当てて下さい。
「コーチが聞くための10の方法」の一つ「区別をつける」の復習です。
「効率」と「効果」の違いは何ですか?
電話の中の子どもたち 山梨日日新聞
「問われる家庭での対話」 安達倭雅子さん(電話相談員)
電話をかけてくる小学校低学年の子どもたちの声は、
いかにも屈託なさそうに聞こえる。
「歩道橋のところで猫が死んでたよ」
「きょう、算数のテスト百点を取ったよ。うれしかったよ」
「ねえ、聞いてよ。街でどこかのおじさんに『クソガキ』ってどなられた。くやしくて」
「跳び箱、跳べました。報告します」
「うちの学校の女の先生にメロンパンっていうあだ名の先生がいるのよ」
こんな声を聞き重ねていてふと考える。
どうしてこんな声が電話相談に入ってくるのだろうか。
なぜこの声が家庭のだんらんの中で受け止められないのだろうか。
こんな話は電話相談員が聞くより、実生活を共にする人、
たとえば両親が聞いた方がよほど生き生き受け止められるはずだ。
メロンパン先生の話だって、あだ名をつけられた先生を知っている両親なら
妙に納得して、子どもたちのあだ名をつけるセンスに感服させられることもあり得る。
死んでしまった猫の話も、どこの歩道橋なのか分からない電話相談員より、
生活圏内の出来事として聞ける人との対話の方が、
どんなにかリアリティーがあるだろうかと考えてしまう。
今、私たち家庭は子どもたちと向き合う時、効率よく良い子を育てようと思うあまりに、
子どもの話を、ためになりそうな場合は受け入れるけど、
そうでないと思われる場合は切り捨てる、
あるいは、どんな話も、ためになる話に塗り替えてしまっているのではないか。
たとえば、「歩道橋のところで猫が死んでた」は
「猫のことより、宿題は済んだの?」になり、
「メロンパン先生」は「先生にあだ名をつける暇があったら勉強しなさい」のようにだ。
「きょう、算数のテスト百点」も「すばらしい。よかったね」ではなく、
「ほらね。やればできるのよ。この前は油断してたからだめだったのよ」
になるとすれば、子どもたちはがっかりして、
そのうちに家庭では口を閉ざすことにならないだろうか。
子どもたちの言語能力の低下がいわれて久しい。
子どもの言語力を支えて育てる源が、家庭での対話の質と量にあると思うのだが。
人の話を「聞くこと」ほど難しいことはありません。
でも、「聞くこと」の効果は絶大です。
SYPプログラムのタイムマネージメントのポイントは、「効率」から「効果」へ。
特に人間関係では「効率」よりも「効果」に焦点を当てて下さい。
「コーチが聞くための10の方法」の一つ「区別をつける」の復習です。
「効率」と「効果」の違いは何ですか?
電話の中の子どもたち 山梨日日新聞
「問われる家庭での対話」 安達倭雅子さん(電話相談員)
電話をかけてくる小学校低学年の子どもたちの声は、
いかにも屈託なさそうに聞こえる。
「歩道橋のところで猫が死んでたよ」
「きょう、算数のテスト百点を取ったよ。うれしかったよ」
「ねえ、聞いてよ。街でどこかのおじさんに『クソガキ』ってどなられた。くやしくて」
「跳び箱、跳べました。報告します」
「うちの学校の女の先生にメロンパンっていうあだ名の先生がいるのよ」
こんな声を聞き重ねていてふと考える。
どうしてこんな声が電話相談に入ってくるのだろうか。
なぜこの声が家庭のだんらんの中で受け止められないのだろうか。
こんな話は電話相談員が聞くより、実生活を共にする人、
たとえば両親が聞いた方がよほど生き生き受け止められるはずだ。
メロンパン先生の話だって、あだ名をつけられた先生を知っている両親なら
妙に納得して、子どもたちのあだ名をつけるセンスに感服させられることもあり得る。
死んでしまった猫の話も、どこの歩道橋なのか分からない電話相談員より、
生活圏内の出来事として聞ける人との対話の方が、
どんなにかリアリティーがあるだろうかと考えてしまう。
今、私たち家庭は子どもたちと向き合う時、効率よく良い子を育てようと思うあまりに、
子どもの話を、ためになりそうな場合は受け入れるけど、
そうでないと思われる場合は切り捨てる、
あるいは、どんな話も、ためになる話に塗り替えてしまっているのではないか。
たとえば、「歩道橋のところで猫が死んでた」は
「猫のことより、宿題は済んだの?」になり、
「メロンパン先生」は「先生にあだ名をつける暇があったら勉強しなさい」のようにだ。
「きょう、算数のテスト百点」も「すばらしい。よかったね」ではなく、
「ほらね。やればできるのよ。この前は油断してたからだめだったのよ」
になるとすれば、子どもたちはがっかりして、
そのうちに家庭では口を閉ざすことにならないだろうか。
子どもたちの言語能力の低下がいわれて久しい。
子どもの言語力を支えて育てる源が、家庭での対話の質と量にあると思うのだが。