26. 猫の話 その2 ( 2005年10月30日 )
先々週、猫の話を書いた数時間後に三毛のペルシャが赤ちゃんを産みました。
もともとデブだったせいもあり、目立ってお腹が大きくなることもなく、
妊娠していることに全く気づきませんでした。
何の兆候もなく、いきなり産み落としたので、ただただ驚くばかりです。
しかも、たった一匹だけ。待てど暮らせど、二匹目は出てきませんでした。
この三毛は僕が一目惚れした猫です。
彼女はペットショップの売れ残りで、
買ったときは子猫の状態ではなく、成猫に近い大きさでした。
売れ残った理由は簡単で、極端に不細工な上に、極端に性格が悪かったからです。
買う前にペットショップで妻(決裁権があるので)が抱かせてもらったときも、
妻のスーツの肩口に噛みついたまま、ずっと「ウーッ!」と低い声でうなっていました。
これまでの三毛の行動を振り返ると、今回の出産は感慨無量です。
彼女が初めて我が家に来たときには、パニック状態に陥っていました。
気が狂ったように家中を走り回り、異常なまでの凶暴さを発揮し、
人間や他の犬猫のみならず自分自身まで爪と歯で手当たり次第に傷つけていました。
家中が、血の海になったことを覚えています。
真剣にペットショップにお返しすることを考えました。
その後、次第にパニックはなくなりましたが
他の犬や猫とコミュニケーションを
取らないことは、ずっと続きました。
三毛は生まれてすぐに母親から引き離され、
ガラスケースの中に入れられてしまい
母親の愛情というプラスのストロークを
十分に受けることができなかったせいか
我が家に来てから出産するまでの2年半の間、
人に懐くこともなく、こにくたらしさを家中に振りまき、
ただ一匹どこか隅の方に身を置き、退屈そうに、
ふて腐れた顔つきで人間と他の犬猫を傍観しているだけでした。
そんなふうに、三毛は性格上、大きな問題を抱えているので
もっとも心配していたのは、彼女が育児放棄をしてしまうのではないかということでした。
育児放棄だけならまだしも、あの三毛のことだから、
最悪、ストレスで赤ちゃん猫を食べてしまうかもしれないと心配していました。
ところが、それは杞憂でした。
母親になって三毛はずいぶんと変わりました。
虎の子の我が子を、文字通り、猫かわいがりしていて、その姿を見ていると感動します。
「あー、ちゃんと、おかあちゃんやってるな」と。
三毛は出産を機に、精神的にも落ち着き、ずいぶん穏やかになったような気がします。
他の猫たちにも優しくなっているんです。見ていて嬉しくなります。
きっと僕に対する態度も好転するだろうと期待しました。
ところが、僕にだけは、依然として厳しいです。
隙を見て僕がこっそり赤ちゃん猫を抱くと、三毛はどこからか血相を変えて飛んできて
赤ちゃん猫の首のあたりをくわえて、すぐに自分の寝床に連れ去ってしまいます。
余程、僕は嫌われているようです。
ちなみに、お父さんは黒のペルシャで、三毛の出産前後、特に別段の変化はなく、
僕の顔を見るたびに、「シーッ!」または「ハーッ!」と激しく威嚇します。
※ 掲載した写真は、2007年の元旦に撮影したものです。
表題とは何の関係もないのですが、昨日の「天声人語」を紹介します。
朝日新聞 「天声人語」より
最近の言葉から。人口217人と、離島を除いて日本一人口が少ない
愛知県富山村で、最後の「村民運動会」があった。「村が一丸となって来られたのは、
3世代がふれあう運動会があってこそ」と川上幸男村長。来月、隣村に編入される。
運動会を復活させる会社もある。「昔に比べ横のつながりが弱い時代。
昔の良い点は今の職場にも採り入れたい」と、24年ぶりに昨年再開した
ホンダ鈴鹿製作所(三重県)の担当者。
首都圏の高校生や大学生が、会話やメールで各地の方言を使っている。
「どこ行くべ?」「どこでもよかと?」は東京・渋谷駅前の女子高生。
「『それ、違うよ』とは言いにくいけど、『違うべ』なら冗談ぽい」
「初めは怖かったけど、今はがばい(すごく)楽しい」と佐賀県の小学2年生、光富祐都君。
東与賀町の干潟よか公園にある「フリーフォール型滑り台」で、
約3メートルの高さをほぼ垂直に滑り降りた。
安全に配慮しつつ、スリルのある遊具を採り入れる遊び場が出来ている。
解散前の国会で郵政民営化法案に反対した参院自民党の造反組が、
こぞって白旗をあげた。
「国民のための法案になっていない」などと言っていた中曽根弘文元文相だが、
賛成投票後には「自民党の中にいてやらなければならない大事な仕事がたくさんある」
「万年Bクラス」といわれたプロ野球のロッテが、31年ぶりに日本一に輝いた。
「最後の夢が実現した。17年間のプロ生活の集大成です……悔いなくバットをおける」
と、初芝清選手、38歳。今期限りで引退する。
先々週、猫の話を書いた数時間後に三毛のペルシャが赤ちゃんを産みました。
もともとデブだったせいもあり、目立ってお腹が大きくなることもなく、
妊娠していることに全く気づきませんでした。
何の兆候もなく、いきなり産み落としたので、ただただ驚くばかりです。
しかも、たった一匹だけ。待てど暮らせど、二匹目は出てきませんでした。
この三毛は僕が一目惚れした猫です。
彼女はペットショップの売れ残りで、
買ったときは子猫の状態ではなく、成猫に近い大きさでした。
売れ残った理由は簡単で、極端に不細工な上に、極端に性格が悪かったからです。
買う前にペットショップで妻(決裁権があるので)が抱かせてもらったときも、
妻のスーツの肩口に噛みついたまま、ずっと「ウーッ!」と低い声でうなっていました。
これまでの三毛の行動を振り返ると、今回の出産は感慨無量です。
彼女が初めて我が家に来たときには、パニック状態に陥っていました。
気が狂ったように家中を走り回り、異常なまでの凶暴さを発揮し、
人間や他の犬猫のみならず自分自身まで爪と歯で手当たり次第に傷つけていました。
家中が、血の海になったことを覚えています。
真剣にペットショップにお返しすることを考えました。
その後、次第にパニックはなくなりましたが
他の犬や猫とコミュニケーションを
取らないことは、ずっと続きました。
三毛は生まれてすぐに母親から引き離され、
ガラスケースの中に入れられてしまい
母親の愛情というプラスのストロークを
十分に受けることができなかったせいか
我が家に来てから出産するまでの2年半の間、
人に懐くこともなく、こにくたらしさを家中に振りまき、
ただ一匹どこか隅の方に身を置き、退屈そうに、
ふて腐れた顔つきで人間と他の犬猫を傍観しているだけでした。
そんなふうに、三毛は性格上、大きな問題を抱えているので
もっとも心配していたのは、彼女が育児放棄をしてしまうのではないかということでした。
育児放棄だけならまだしも、あの三毛のことだから、
最悪、ストレスで赤ちゃん猫を食べてしまうかもしれないと心配していました。
ところが、それは杞憂でした。
母親になって三毛はずいぶんと変わりました。
虎の子の我が子を、文字通り、猫かわいがりしていて、その姿を見ていると感動します。
「あー、ちゃんと、おかあちゃんやってるな」と。
三毛は出産を機に、精神的にも落ち着き、ずいぶん穏やかになったような気がします。
他の猫たちにも優しくなっているんです。見ていて嬉しくなります。
きっと僕に対する態度も好転するだろうと期待しました。
ところが、僕にだけは、依然として厳しいです。
隙を見て僕がこっそり赤ちゃん猫を抱くと、三毛はどこからか血相を変えて飛んできて
赤ちゃん猫の首のあたりをくわえて、すぐに自分の寝床に連れ去ってしまいます。
余程、僕は嫌われているようです。
ちなみに、お父さんは黒のペルシャで、三毛の出産前後、特に別段の変化はなく、
僕の顔を見るたびに、「シーッ!」または「ハーッ!」と激しく威嚇します。
※ 掲載した写真は、2007年の元旦に撮影したものです。
表題とは何の関係もないのですが、昨日の「天声人語」を紹介します。
朝日新聞 「天声人語」より
最近の言葉から。人口217人と、離島を除いて日本一人口が少ない
愛知県富山村で、最後の「村民運動会」があった。「村が一丸となって来られたのは、
3世代がふれあう運動会があってこそ」と川上幸男村長。来月、隣村に編入される。
運動会を復活させる会社もある。「昔に比べ横のつながりが弱い時代。
昔の良い点は今の職場にも採り入れたい」と、24年ぶりに昨年再開した
ホンダ鈴鹿製作所(三重県)の担当者。
首都圏の高校生や大学生が、会話やメールで各地の方言を使っている。
「どこ行くべ?」「どこでもよかと?」は東京・渋谷駅前の女子高生。
「『それ、違うよ』とは言いにくいけど、『違うべ』なら冗談ぽい」
「初めは怖かったけど、今はがばい(すごく)楽しい」と佐賀県の小学2年生、光富祐都君。
東与賀町の干潟よか公園にある「フリーフォール型滑り台」で、
約3メートルの高さをほぼ垂直に滑り降りた。
安全に配慮しつつ、スリルのある遊具を採り入れる遊び場が出来ている。
解散前の国会で郵政民営化法案に反対した参院自民党の造反組が、
こぞって白旗をあげた。
「国民のための法案になっていない」などと言っていた中曽根弘文元文相だが、
賛成投票後には「自民党の中にいてやらなければならない大事な仕事がたくさんある」
「万年Bクラス」といわれたプロ野球のロッテが、31年ぶりに日本一に輝いた。
「最後の夢が実現した。17年間のプロ生活の集大成です……悔いなくバットをおける」
と、初芝清選手、38歳。今期限りで引退する。