51. 今年最後の更新です ( 2006年12月31日 )
今年も、あと数時間になりました。
皆さんにとって、今年はどんな一年でしたか。
今年一年を完了するために「止まって観る」。
そんな自分自身のための時間を創ってみて下さい。
昨年と同様に朝日新聞の天声人語で〆にします。
ことし最後の日をむかえた。
やれ大掃除だ、それ年賀状だ、と気ばかり焦って、ちっともはかどらない。
それでも、どうやら年は越せそうだ。ありがたい。
江戸時代から明治にかけて、年の瀬は厳しいものだった。
つけ払いの代金をとり立てる「掛け取り」に追われる庶民の話の何と多いことか。
馬子唄で「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ」とくれば、結びは「大井川」だ。
だが、もとは「大晦日」だったという。
そんな大みそかに大団円を迎えるのが、落語『芝浜』だ。
怠け者の魚屋が大金の入った財布を拾い、浮かれてどんちゃん騒ぎをする。
ところが一夜明けて、女房から財布なんぞ知らない、夢だよと言われてしまう。
それを真に受け、改心した魚屋は酒を断ち、仕事に励む。
そして3年目に財布の存在を明かされて……。
痛飲して、記憶が途切れたことのある身には、
宿酔の朝に、夢だよと突き放される場面が切ない。
まさか、そんな、とほほ。不覚にも、そんな経験をお持ちの方もおられよう。
ただ、目覚めたくない夢など、そうめったに見られるものではない。
それに比べて、ことしも悪い夢としか思えないような惨事が、世にあふれた。
親がわが子をあやめる。いじめを苦にした自殺や、飲酒運転の事故も続発した。
イラクのフセイン元大統領が処刑されたが、現地での死者は増え続けるのではないか。
こよい、除夜の鐘が聞こえたら、耳を澄ましてみる。
忘れてしまいたい思い出と、忘れてはならぬ記憶が胸の中に降り積もるに違いない。
そして、年が改まる。
2006年12月31日(日) 朝日新聞 天声人語より
今年も、あと数時間になりました。
皆さんにとって、今年はどんな一年でしたか。
今年一年を完了するために「止まって観る」。
そんな自分自身のための時間を創ってみて下さい。
昨年と同様に朝日新聞の天声人語で〆にします。
ことし最後の日をむかえた。
やれ大掃除だ、それ年賀状だ、と気ばかり焦って、ちっともはかどらない。
それでも、どうやら年は越せそうだ。ありがたい。
江戸時代から明治にかけて、年の瀬は厳しいものだった。
つけ払いの代金をとり立てる「掛け取り」に追われる庶民の話の何と多いことか。
馬子唄で「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ」とくれば、結びは「大井川」だ。
だが、もとは「大晦日」だったという。
そんな大みそかに大団円を迎えるのが、落語『芝浜』だ。
怠け者の魚屋が大金の入った財布を拾い、浮かれてどんちゃん騒ぎをする。
ところが一夜明けて、女房から財布なんぞ知らない、夢だよと言われてしまう。
それを真に受け、改心した魚屋は酒を断ち、仕事に励む。
そして3年目に財布の存在を明かされて……。
痛飲して、記憶が途切れたことのある身には、
宿酔の朝に、夢だよと突き放される場面が切ない。
まさか、そんな、とほほ。不覚にも、そんな経験をお持ちの方もおられよう。
ただ、目覚めたくない夢など、そうめったに見られるものではない。
それに比べて、ことしも悪い夢としか思えないような惨事が、世にあふれた。
親がわが子をあやめる。いじめを苦にした自殺や、飲酒運転の事故も続発した。
イラクのフセイン元大統領が処刑されたが、現地での死者は増え続けるのではないか。
こよい、除夜の鐘が聞こえたら、耳を澄ましてみる。
忘れてしまいたい思い出と、忘れてはならぬ記憶が胸の中に降り積もるに違いない。
そして、年が改まる。
2006年12月31日(日) 朝日新聞 天声人語より