私は、京都市に越してくるまで、京都府北部に住んでおりました。
自然豊かな環境の中で、一軒家を持ち、子供たちも伸び伸び育ち、今では立派な社会人です。
子供が巣立つまで、私は、実家が遠く、知人もいない状態で、子供たちを育てるのに、家から歩いて5分ほどにある主人の両親に頼るしかありませんでした。
主人の両親は、子供たちの面倒をよく見てくれ、とても助けられましたが、所詮、『嫁は嫁』。
特に、私に対する姑の言葉がとてもきつく、私はいつも、ストレスを感じていました。
主人に「お義母さんから、こんなこと言われた。」と訴えても、母親から愛情を受けて育った主人は、
『うちの母親に限って、そんなことを言うわけがない。』という返事が返ってきた時、私のショックは計り知れないものでした。
『この人に何を言っても無駄なんだ。』
私は、『この人(主人)は、私の味方になってくれない。期待しても無駄なんだ。』と思うようになったのです。
義母が生まれ育った京都府北部での暮らしは、どこへ行っても義母の親戚に出くわします。
義母の弟嫁、義母の姉、義母の姉の娘と、親戚の付き合いも濃く、正月の集まり・子供の運動会では常に親戚総出で行事に参加していたのです。
年月が経つとともに、とうとう私の精神は、悲鳴を上げるようになったのです。
常に『周囲がぼやけたような感じがする。物が歪んで見える。物が認知できない。』等の原因不明の体調不良を起こし、私は外に出るのが怖くなりました。
「生きていたくない・・・。」
そう思うくらい、精神的に不安定な毎日を送っていたのです。
味方になってくれるはずの主人を信じられなくなった私は、主人とも距離を置いていました。家庭内別居です。
主人の存在さえ、その頃の私には苦痛でしかありませんでした。
『このままここにいたら、自分がダメになってしまう・・。』
危機感を感じた私は、子供の巣立ちと共に、その頃、飼っていた猫を連れて家を出ることに・・・。
幸い、京都市内で働いていたこともあり、その伝手で勤め先も探しました。
それから4年。現在、京都市内のマンションで、2匹の猫たち(連れてきた猫+新猫)と細々と暮らしております。
現在の手取り12万円。
マンションの家賃4万円弱。
食費1ヶ月 30,000円
ペット保険(2頭分) 4,500円
その他諸々の出費で、ぎりぎりの生活状態です。
それでも、良かったと思うのは、家を出て、あれほど苦手だった主人との関係が良好になったこと。
主人も職場でかなりのストレスを感じていたこともあり、私を気遣えなかったんだなと・・・。
気持ちに余裕が出るようになりました。
今でも、当時、精神科で処方された抗不安薬を飲んでいますが、毎日2匹の猫たちが元気でいてくれること。
毎日元気で働けることに幸せを感じています。
元気でいることは当たり前ではない。それはとてもありがたいことなんだと、
教えられた気がします。