ダンス講師のフィギュアスケート鑑賞記 -14ページ目

ダンス講師のフィギュアスケート鑑賞記

フィギュアスケート五輪連覇の伝説の王者・羽生結弦選手を独自の視点で応援させていただくことを主な目的とするブログです。
フィギュアファン歴20年以上。

黒origin衣装展示に寄せて

 

2019-20シーズン紫origin篇

 

 

驚くことに、翌シーズンへ持ち越した『origin』は新しい作品に生まれ変わっていた。

2018-19シーズンは、強い魔王。プルシェンコ氏へのオマージュ。

それに対し、

2019-20シーズンは、耽美。ニジンスキーの『Le Spectre de la Rose』へのオマージュ。

私にはそのように見えた。

 

 

 

優美な紫色の衣装を一目見て私が連想したのは、紫の薔薇。レオン・バクスト(1866-1924)による衣装デザインを現代的にした印象だ。18-19シーズンの魔王羽生の影は無い。両性具有的な、いや無性的と言うべきか。これはニジンスキーの『薔薇の精』へのオマージュだと私は感じたのである。

 

バレエ作品『薔薇の精』は1911年4月19日モンテカルロ歌劇場にて、ディアギレフ率いるバレエリュスによって初演された。ワツラフ・ニジンスキー(1888-1950)が薔薇の精霊役を、タマラ・カルサヴィナ(1885-1978)が少女役を演じた。

振付をしたミハイル・フォーキン(1880-1942)は次のように述べている。

「薔薇の精は魂であり、希望である。また、薔薇の香気であるとともに花弁の愛撫であり、口では言い表せないものである」

 

テオフィル・ゴーティエ(Jules Pierre Théophile Gautier,  1811-1872)の詩を題材に作られた作品で、内容は次のようなものである。

「Soulève ta paupière close

Qu’effleure un songe virginal ;

Je suis le spectre d’une rose

Que tu portais hier au bal.

Tu me pris encore emperlée

Des pleurs d’argent de l’arrosoir,

Et parmi la fête étoilée

Tu me promenas tout le soir.

Ô toi qui de ma mort fus cause,

Sans que tu puisses le chasser

Toute la nuit mon spectre rose

À ton chevet viendra danser.

Mais ne crains rien,je ne réclame

Ni messe ni De Profundis ;

Ce léger parfum est mon âme

Et j’arrive du paradis.

Mon destin fut digne d’envie :

Pour avoir un trépas si beau,

Plus d’un aurait donné sa vie,

Car j’ai ta gorge pour tombeau,

Et sur l’albâtre où je repose

Un poète avec un baiser

Écrivit : Ci-gît une rose

Que tous les rois vont jalouser.」

 

前編で言及した大胆に性的な『牧神の午後』ではなく、無性とも言える『薔薇の精』に焦点を合わせたことは見事だと思う。どこか修行僧のような羽生選手にとても似合っていた。『ペトリューシカ』でもなく『シャム人の踊り』でもなかった。これは誰のアイデアか?  私は非常に興味がある。オーサーコーチか、振付のシェイ=リーン氏か、オマージュ元のプルシェンコ氏か。とても良いコンセプトだと思った。薔薇の亡霊を演じる男性舞踊手は両性具有的でなければならないし、透明感がなければならないし、美しくなければならない、と私は思うのだ。またニジンスキーはやや東洋的な顔立ちをしていた。少なくとも私は、羽生選手以外のスケーターを思い浮かべる事は出来ない。フィギュアスケーター羽生結弦は氷上で『薔薇の精』を演じるために生まれてきた、と言っても過言ではないほどの適役だと私は思っている。

 

 

 

 

 

高難度のジャンプ構成に震える私に最期のトドメを刺したのは、終盤のChSqだ。それは、昨シーズンからずっと私が切望していたものだった。レイバックイナバウアーをしながらの、腕の動きと、顔の角度、である。

それはニジンスキーの振付、即ち『薔薇の精』のムーブメントだったのだ…。

立ち止まってポーズを真似たのではなく、スケーティングをしながらのムーブメントとして鮮やかにニジンスキーを現代に蘇らせるとは!  ただ真似をしたのではなく、新しい解釈によって、である。さらに原作の明るさを再現するのではなく、花がいつか散る儚さと切なさを感じさせるような表現だった。何という秀逸なプログラムであろうか。

スケートカナダとNHK杯と全日本選手権、特に全日本での『薔薇の精』のムーブメントの美しさは筆舌に尽くし難い。グランプリファイナルでの羽生選手は終盤に呼吸困難に陥ったように見え、その振付を見ることは叶わなかった。だが凄みと耽美が両立していて引き込まれた。

 

さらに、あとで動画を見直すと、StSqの最中にも『Le Spectre de la Rose』の振付を取り入れていたのだ。StSqとChSqで足の技術をこなしながら、同時に上半身はニジンスキーの振付をこなす事は至難の技だと思う。フィギュアスケート王者としての矜持を私は感じた。

 

 

 

 

 

技術・表現ともにニジンスキーの『薔薇の精』の新解釈という、素晴らしいプログラムだったと私は認識している。このようなプログラムを見せてくださった羽生選手に私はとても感謝している。だがシーズンを通して全てのジャンプがクリーンに実行された試合が無かった。それにより、競技である以上、高得点を獲得出来なかった。怪我の蓄積が原因かもしれないが、それは外部からは知る由も無い。ただし、何故ジャンプやスピンにGOEプラス5の評価が出ないのか、ルールを読んでも私には不可解であった。

僭越ながら戦略面での意見を言うなら、プログラム全体にもっと薔薇の精のムーブメントを散りばめてほしかった。例えば冒頭のポーズや、StSq直後の、バイオリン主旋律開始のタイミングにも入れていれば最適だったのではないか。なぜならば、そうすれば音楽解釈の項目等で審査員からPCS高評価を獲得できた可能性が高いと私は思うからである。他には3ltzの数秒後とか、最後の3Aの数秒前にも入れていれば効果的だったのではないか。それに、もっと堂々と腕のムーブメントを見せつけて審査員に『薔薇の精』をアピールしたほうが良かったのではないか。例えばStSqの最中にも取り入れたニジンスキーの振付は、もっと明確に、これでもかと見せつけるくらいのほうが良かったのではなかろうか。(これに関しては私はフィギュア競技の経験が無いので独断と偏見であるが)。

だがStSqとChSqの最中に振付を取り入れる事が、フィギュアスケート王者としての矜持だったのかもしれない。それに前編で言及したように、羽生さんはバレエの才能を持ちながらも、幼少期からそれを習得する機会に恵まれなかった。才能がありながらも謙虚な羽生選手は、分かりやすいポーズやムーブメントをあえて取り入れ過ぎないことによって、バレエリュスの天才ダンサーへの敬意を表したのかもしれない。このプログラムに関しては、バレエリュスに詳しそうなロシアの振付師をつけるほうが良かったのではないかと私は考えていたし、今でもそのように考えている。

偉そうな論評まがいの事を書いて大変恐縮であるが、私はそのように思った。

 

コロナ禍で世界選手権が中止され、麗しきプログラムの完成形を見る事は叶わなかった。

 

 

 

 

 

 

なお、この話には続きがある。羽生選手のファンの多くがご存知とは思うが、今年の春、アメリカの尼僧の方がグランプリファイナル2019での羽生選手のフリープログラムに魅了された事をSNSで公言なさったのだ。“Such beaty on ice by Yuzuru Hanyu ”と評されていた。宗教絵画や彫刻に混じってYuzuru Hanyu が紹介される違和感は皆無であった。カトリックの厳格な宗派のシスターにとって、羽生選手の『薔薇の精』は崇高なのである。「芸術か信仰か」という境地。それは、この演技の真の価値の証明である。

 

 

薔薇も、人の命も、いつか散る。何と儚く、何と切なく、何と悲しいことだろうか。しかし、だからこそ薔薇は輝くのだと、心に沁み入るストラディバリウスのバイオリンの音色と共に、羽生結弦の演技によって私は教えられた気がするのだ。そして心の中の薔薇は、永遠に朽ちることは無いということも。

 

羽生選手が本物の「氷上の薔薇の精」であったがゆえに、今後しばらくはニジンスキーを氷上で表現しようとする選手は出てこないだろう。トーヴィル&ディーン組の『ボレロ』がそうであったように。

 

 

 

 

採点表

オータムクラシック

https://lamp.skatecanada.ca/results/2019ACI/CSCAN2019_Men_FS_Scores.pdf

スケートカナダ

http://www.isuresults.com/results/season1920/gpcan2019/FSKMSINGLES-----------FNL-000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf

NHK杯

http://www.isuresults.com/results/season1920/gpjpn2019/data0105.pdf

gpf

http://www.isuresults.com/results/season1920/gpf1920/FSKMSINGLES-----------FNL-000100--_JudgesDetailsperSkater.pdf

全日本選手権

https://www.jsfresults.com/National/2019-2020/fs_j/nationalsenior/data0105.pdf

 

 

 

 

 

 

 

※本記事は私の意見であり、演技を見た人によって感想は異なると思います。