【折り返し地点】 | しょうちゃん@KOBE(時々南相馬)のイモッコ日記

しょうちゃん@KOBE(時々南相馬)のイモッコ日記

神戸でイモイモしていた人が、福島県の南相馬に来てからそこそこイキイキと生きれるようになって…また神戸に戻ってきた人の気まぐれ日記。

↑↑朝の小高駅描いてみた(も少し手直しします)↑↑

 

 

 

 

みなさんこんばんみ。

静なる鉄男です。旅鉄な人です。

 

明日2016年12月10日(土)は常磐線の北側(小高駅から北側)の営業運転が5年9ケ月ぶりに再開するということで、『鉄路』という視点で考えると僕が今いる南相馬はやっと『陸の孤島』でなくなります。

 

2013年の4月に南相馬に来た当初は、3ケ月くらい震災復旧・復興のお手伝いをしてから神戸に帰って新しい仕事を模索するつもりだったのですが、しばらくして『常磐線が全通するまでは神戸に帰れない…』と思い…かれこれ3年と9ケ月。

 

 

 

 

当時…

 

今となっては、神戸は震災からたった2ケ月半で全通(JR)出来たんだもの。

 

それまで孤独で全国から取り残された感覚だったんだもの。

 

そして全通再開した日、身近な人・全国の人に支えられて全通出来たんだとありがたくって感極まってワンワン泣いたもの。

 

ここの街のことを知ってしまったら帰れる訳がなかろう。

 

当時の感覚知ってるんだから、神戸に戻って普通の生活が出来る訳がなかろう。

 

自分は鉄道員でないけど、命を削ってその鉄路を繋いだ親を持つ子としては、ここの鉄路の再開を見守りつつ、自分の出来ることでお手伝いする!

 

 

…みたいな正義感のような思いが湧いてきたのが残ろうと思ったきっかけだったんですけど…今となっては神戸にいた頃より静かにイキイキテカテカしてるよなんかスミマセンあれれ(笑

 

 

 

 

この3年9ケ月を振り返って思うことは…『いい歳のおっさんなのに想定外に南相馬のみなさんから色々と学び、みなさんに育ててもらった。』ってこと(笑

 

バイト+αで最低限を稼ぎつつ、授業料を払わずに実践でとても意味ある大学生活をさせてもらってた感じです。

 

そう考えると2017年4月が卒業時期になるので、就職活動をして次行くとこが決まってなきゃなんですけど…どっちかって言うと『院生になって学生起業家目指すべく研究します!』ってな感じ(笑

 

そしてなにより、生まれてからずーっと抱えていた闇のような『この先どうやって生きていこう…』という将来への不安を消してもらえたことも大きいです。

 

 

 

 

常磐線が全通するのは2020年度の東京オリンピック開催前を予定してるそうです(神戸の時の感覚を考えると、も少し早くなるような気もするけど…)。

 

そう考えると今はちょうど折り返し。

 

2020年はどこでどんな生き方をしてるのだろう。

ちゃんと稼げているのだろうかw

 

でも『間違いない』と思えることは、『自分にしか出来ないような仕事をしている』ということ。

 

誰かに雇われているというカタチでなく、自分独自の感性とコツコツ磨いた技で仕事している本当の意味での『就職実現』が出来ていると言うか(いい歳のおっさんなのになにいう)。

 

今現在の仕事感覚は『きっと自分にしか出来ない仕事を頂いてる。けれど実の部分はまだまだ荒削り。』って感じ。

 

そう考えれるようになれたのも、この街の風土や考え方と自分の中に昔からあったブレないなにかしらとが、上手〜く馴染み合ったからこそと思います。

 

そして、その荒削りな部分をコツコツ確実なものにしていくのが残り後半戦と思ってます。

 

『たぶん…こういう考えの生き方が自分らしくて、また、自分にとって幸せな生き方なのかもな〜』と最近思います。

 

 

 

 

 

 

そんなわけで明日から、行こうと思えば鉄路だけで故郷の神戸や全国へ行けるようになります。

 

とても嬉しい!

 

…でも明日は再開セレモニーを見に行くでもなく、明日は明日の時間を…上手い具合に仕事が休みになったので、以前からお声がけ頂いてるところで過ごします(落ち着いた頃にチラッと駅を見に行くかなぁ)。

 

なぜなら、ぼくの中での大切な区切りはやはり『鉄路全通再開』なので。

 

そんなわけで、その日が来るのを楽しみに明日からもコツコツ静かに頑張って生きていきたいと思います!(`_´)ゞ

 

南相馬のみなさま!相双地区のみなさま!

しばらくまたよろしくお願いします!(`_´)ゞ