あわてて玄関まで出て行くと、声の主はやっぱりお父さんだった。


久しぶりに会ったお父さんは、タバコくさかった。お父さんはタバコを吸わないから、きっと長時間喫煙者に囲まれてたんだろう。知らない匂いになったお父さんが、いよいよ家族ではなくなったような気がした。



「おかえり。帰ってくるの早かったね?」

「ああ、こずえ。帰ってたんだな、よかった」
「え?」
「泊まりの仕事が入ったんだ。ちょっとの間、戻れそうにないから、こずえ、家のことよろしくな」

 普段から任せっきりのくせに。そう言おうとして、飲み込んだ。だって仕方ない、うちはお母さんがいない、父子家庭。仕事で忙しいお父さんが家のことを見る余裕なんてない。

「それよりお前、」
「な、何?」
「駅の爆発、大丈夫だったか?」

 どうせあたしのことも殺しちゃうんでしょ、白々しいよ。そう言おうとして、また飲み込んだ。

お父さんの顔が、見たこともないくらい真剣だったからだ。「あたしのこと殺すんでしょ」なんて、冗談でも言わせないような表情だった。

外からは、救急車のサイレンが聞こえる。

「あ、うん、あたしは大丈夫。駅から近いところにいた友達ひとり、今ウチに連れてきたんだけど」
「友達?」
「うん。澪、野崎澪。ほら、山のほうに霊園あるでしょ。そこの娘だよ」

お父さんの眉がぴくりと動いた。

「お前、仲いいのか」
「そうだけど?」
「そうか……友達か」

 最後にお父さんに学校の話をしたのはいつだったか。高校の友達を知らないってことは、もう1年以上も前か。なんだか、遠い遠い過去のことみたいだ。

「とりあえず、しばらく家を空けるってことだけ知らせにこようと思って。じゃ、仕事に戻るから」
「え、ちょっと待って、泊まりなんでしょ? 着替えとかの荷物は今用意しなきゃ、」
「ああ、それならお前が帰ってくる前に一度家に来てもう持っていったよ」

 家にも上がらずに、玄関で短いやりとりを終えると、お父さんは踵を返した。これからお父さんはまた仕事に行くんだ。仕事って、なんだろう。

お父さんはどこへ行くんだろう。待ってよ! 娘のこと放っていかないでよ! 

本当に小沢野市の人たちを皆殺しにするの? 

背広の後姿が、なんだかひどく疲れているように、さみしそうに見えた。


 殉職。


 なぜかその二文字が頭をよぎった。

「お父さん!」

 思わず呼び止めると、お父さんは振り返った。

「あ、えっと……いつ帰ってくるの?」
「さぁ、長くて1週間くらいかな」
「あっ、あのさっ、何かあったら連絡するから、」
「わかったよ。駅はまだ危ないから、絶対に近づいちゃいかんぞ」

 こずえはしっかりしてるから大丈夫だよな。

 そう言ってお父さんは少し笑って、車のドアをバタンと閉めた。
 言えずじまいだった。「どこに行くの」「死なないで」「殺されないで」「殺さないで」何も言えなかった。

 自分の本心を打ち明けてお父さんにすがりつくなんて絶対にできない。

結局あたしは、本当のところではお父さんときちんと向き合えないんだ。

 

 正直、寂しい。


だけど、あたしのことでお父さんに余計な心配はさせたくないから、寂しくない寂しくないといつも自分に言い聞かすんだ。



「へぇー」


 計画書を見た真知子の反応は意外に冷静だった。もっとも、真知子が取り乱してるところなんか見たことないんだけど。


 そんな真知子は、澪の期待通り、テキパキと話をまとめてくれた。おかげで、あたしと澪の間でごちゃごちゃになっていたいくつかの情報もスッキリした。

 とりあえずわかったのは、「人口削減」の対象となっているのが、この市の住民登録名簿に名前が載っている全市民であること。だから、もしも市民全員が他の市町村へ逃げても、意味がない。そこが小沢野市ではなくても、小沢野市民が集中している地域から順に被害に遭うということになる。

要するに、どこにいようが関係なくみんな殺されるってことだろう。

 真知子は、やっぱり姉御肌だった。むしろ、あたしと澪といっしょに恐ろしい計画に向き合おうとすることにノリ気であるようにすら見えた。


「真知子、死ぬかもしれないんだよ?」
「ばか。あたしは不死身よ」


 それはただの強がりかもしれない。だけど、こんなときだからこそ強がっていられる、そんな真知子がいて、本当に心強いんだ。

 真知子の提案で、二人はしばらくうちに泊まることになった。まだまだ考えなければいけないことがたくさんあるからだ。


「こずえ、うちら今夜からどこで寝ればいいの? 場所あんの?」
「あー、……お母さんと兄ちゃんの部屋空いてるけど使う?」

 お母さんは、5年前に亡くなった。事故だった。国の研究機関に勤めていたお母さんは、地質の研究のために仕事で向かった山で土砂崩れに巻き込まれた。
 

 兄ちゃんは社会人。車を買ってから、めっきり家に帰ってこなくなった。もう2か月くらい会ってない気がする。

 そんなわけで、二人の部屋は空いているのだけど(ちゃんとあたしが掃除もしてるし)。
澪と真知子は顔を見合わせて、うーん、と唸った。

「はいはいはーい、コズのお部屋がいいでーす」
「はーい、あたしも賛成でーす」

 二人は、うちの家族がどんな状態なのかを知っている。だから、気を遣ってお母さんと兄ちゃんの部屋にも触れないようにしてるんだろう。

「……いや、あの、あたしの部屋ね、六畳もないような狭さなんだけど」
「じゃあリビング! 川の字で寝ようよー」
「決まりね。こずえ、世話になるわね~」

 真知子が、有無を言わせぬ美しい笑顔をあたしに投げかけた。
 もしかしたら明日死ぬかもしれないっていう状況なのに、どうしてこんなに笑っていられるんだろう。そう思うと、


ちょっと悔しいけどなんだかあたしも笑えてきた。



「澪は外で寝ちゃえばいいよ、外で」
「えっ何それ!」
「だって澪は森の中で暮らしてるんでしょ」
「そういう真知子、ごめんね、しばらく固い固いフローリングの床で寝ていただきますよ、お嬢様」
「別にいいよ。……っていうか、あたしをそんなお嬢様キャラに仕立てるなー!」
「ひゃっはっはっはっはー。オジョウサマだってー」
「澪うるさーい!」


 夜、うちに泊まるための荷物を持って真知子は再びやってきた。澪は電車が不通になったせいで家に帰れないので、とりあえず今はうちにいる。

家に連絡すると、やっぱりご両親は澪の身を心配していたそうだ。

 夕食はあたしが作った。真知子は「こずえって意外と料理上手ね」と褒めてくれた(「意外と」は余計)。澪はおいしいおいしいと言って食べてくれている(基本的に何を食べても感想は同じ)。

 なんとなくつけたテレビからは、ニュースキャスターの無機質な声が聞こえる。
『農林水産省の発表によりますと、低下を続ける日本の食料自給率はついに2パーセントを下回ったとのことで、……』


「2パーセント!?」

 澪が目を丸くしてすっとんきょうな声をあげた。
『このような低迷の原因としては、温暖化による日本各地の異常気象にともない農作物が不作であったことや、人口の増加などが……』


 画面には、炎天下赤っぽい土と枯れ枝でいっぱいになってしまった畑が映し出されたこれが日本国内とは信じられない、まるで赤道近くのどこかの砂漠みたいだと思った。

「日本……ちょっとやばくない?」
「ちょっとどころじゃない。かなりやばいわね」
「あたしたち、外国から食べ物がこなくなったらどうなるんだろう」

 温暖化の影響は、確実に人間の暮らしの中に現れている。いや、温暖化だけならまだこの国には救いがあるのかもしれない。マズいのは、人口だ。多すぎる人口が、日本国民の暮らしをさらに脅かしているんだ。



『続いてのニュースです。今日午後6時30分頃、小沢野駅舎内で突如爆発が起こりました』



 あたしたちの注目が一気にテレビへ向かった。


 いきなり燃える駅舎が映し出された。真知子は息を呑んで見つめていた。澪は無表情だった。きっといろいろ思い出しているんだろう。薄い液晶画面の中のそれは、夕方この目で確かに見たものだった。

『駅舎内にいた38名の利用者は、現在行方不明とされています』


「そう来ましたか」


 箸を置いて、真知子が吐き捨てた。政府はこの爆発に関して「現在調査中」らしい。

ふざけてる。行方不明者とは、たぶん爆発の犠牲になった人たちだ。

38人というのが大きい数なのか小さい数なのかはわからないが、この結果が、次の破壊活動へと繋がるのだろう。今日の駅での爆破は、あくまで「社会実験」なのだから。

 そういえば、お父さんはどうしているだろうか。

「あたし、今日お父さんと話した」

 お父さんが一瞬だけ家に帰ってきたということを話すと、神妙な顔をしていた澪が口を開いた。

「……なんか変じゃない?」
「え?」
「澪、それあたしも思った。話聞いてると、こずえのお父さん不自然よね」
「何? 何が?」
 お父さんは至っていつもどおりの様子だった。少し疲れてる感じはあったけど。
「しばらく仕事で家に戻らないから、って、そのくらいの用事ならさ、電話とかメールで済ませばよかったんじゃないのかなって」
「わざわざその足で娘のところまで来るなんてね」
「お父さん、どうしてもコズの顔が見たかったんじゃないのかな」
 あたしの顔を見に? どうしてわざわざ――




――もう会えないかもしれないから?




 お父さんは何を考えているんだろう。

最後の別れをしに、わざわざあたしのところまで来たって?

 あたし含むこの市の人たちを皆殺しにするつもりなのに? 


わかんない。


自分の親なのに、家族なのに、何を考えてるんだかこれっぽっちもわかんないんだ。笑っちゃうよ。

さっきお父さんと話したとき、あたしは引き止めるべきだったんだろうか、「人殺しなんてやめて」だの「家に帰ってきて」だの説得すべきだったんだろうか。



ねぇ、お母さん助けてよ、お母さん、おかあさん。


視界が、じわりと滲んだ。

ねぇ、澪、真知子。
どうかあたしから離れていかないで。

【第四話へ続く】

 駅から逃げる人の流れに逆らって、全力でチャリをこいだ。信号は無視した。前輪がガクガクするけど、かまってられない。

澪の姿はどこにも見えない。


「いったい××××!」

「わからん、何かが××××」

「とにかく×××だ!」


 いろんな人のいろんな声がする。ああ、ああ、でも何一つ頭に入って来ない。澪はどこにいる? まさか、今の爆発で――

 駅前の大きな通りに出た瞬間、見慣れた制服が目に飛び込んできた。いた。澪は、立ち止まってぼんやりと駅を見つめていた。何してるんだこんなときに。


 近づいて、肩をつかんで揺する。

「ねえ、澪、何ボーっとしてんの、早く逃げるよ!」
「え、でも、あそこにいた、ひと、たち、どうなっちゃうの」
「いいから早く逃げよう」
「だけど、あたし」
「うるさい!」

 澪は口をつぐんだ。

「このままここにいて爆発とかまた起きてさっ、」

 

駅の方から砂の混じった熱い風が吹きつける。自分の声が震えているのがわかった。

「つぎは澪がしんだらどうすんだよ! ……早くチャリっ! 乗って!」


あとは死に物狂いで少しでも駅から遠くへ離れるだけだった。後ろの澪は、我慢が切れたように泣き叫んでいた。あたしは、めちゃくちゃにチャリを壊す勢いでスピードを上げた。もう何がなんだかわからない。わあぁぁぁと叫びながら、ひたすら駅から逃げた。

そして、あたしたちの声を掻き消すように、背後で駅舎が崩れる落ちる音がした。

――すべて、爆発が起こってから10分も経たないうちの出来事だった。



「ケガない?」
「……」
「どこも痛いとこない?」
「……うん」

 あれから夢中でチャリを飛ばして、とりあえずうちに帰ってきた。さっきまでのことが、まるで悪い夢みたいだ。だけど、制服のブラウスに染み付いた煙の匂いと、髪に、肩に、スカートに降り注いだ粉塵が現実を物語っている。網戸にした窓の外から、消防車とかパトカーとか、いろんなサイレンが聞こえる。


「はい、どうぞ」


 澪の前に麦茶のコップを置いた。氷がカランと音を立てた。

「ごめん、ありがと」
 

 澪は一気にお茶を飲み干して、はぁーっ、と長くため息をついた。
「あたし、コズきてくれなかったら絶対死んでた」

えへへ、と澪は笑った。少しは落ち着いたみたいで、安心した。

「いきなりだったよね。駅舎から逃げるの、大変だったでしょ」
「あ、あたし爆発のときもスーパーの前にいたんだよ」
「へ?」
「あのね、駅についた頃にマッチからメールきてね」
「真知子から?」
「うん。ほら、これ見て」
 差し出された携帯の画面を見る。

〈 To:野崎 澪
  From:広瀬 真知子
今日あたし澪に数学の宿題写させてあげたよね。杏仁豆腐食べたいんだけど。〉


「ぎゃはははは! アンタらってばもう……」
「えっ、そ、そんな笑わなくてもいいじゃんっ」
「それで、わざわざスーパーまで真知子のために杏仁豆腐買いに行ってたんだ?」
「そ、そうだよ!」
「真知子様には頭が上がりませんってか! あっはっはっは!」
「うっ……うるさーい!」
「別に真知子は『買ってこい』ってハッキリ言ってるわけじゃないのに」
「いや、言ってるよ、これは遠まわしに『買ってこい』って言ってるよ!」
「あっはっは!」
「だってさぁ何かお礼しなきゃマッチいつまでも根に持つんだもん! 恩着せがましいんだもん!」
「その前にアンタ数学の宿題をやればいい話でしょうが!」
「だって2時間考えてもわかんなかったんだもん!」


 ひとしきり笑ったあと、頭の中にチラッとあの計画書のことがよぎった。
……澪や真知子に見せたら、何て言うだろう。こんな恐ろしい計画を知ってしまったあたしの味方でいてくれるだろうか。それとも、もう関わりたくないって離れていってしまうだろうか。そんなふうに、あたしがひとりぼっちになってしまう可能性も、ないわけではないんだ。だけど、だけど。


 どっちみち、あの計画はあたし一人でどうにかできる規模の問題じゃない。

 

――ごめん。


「澪」
「なに?」
「……友達やめないでね」
「…え?」
「お願い。これから渡すもの見ても、あたしの友達やめないで」


 あたしは決意して、澪に例の計画書を渡した。

 最初は不思議そうな顔をしていた澪も、それに目を落とすと急に緊張した表情になった。

「こんなもの、一体どこで……」
「さっきお父さんの書斎に入ったときに偶然見つけちゃった。それ読んで、もしかしたらヤバイことになるかもって思ってさ、駅までチャリ飛ばして行ったんだけど、もう遅かった」
「そういうことだったんだ……」
「澪、ごめん、」

 

 涙がこぼれそうだ。大切な友達を、命に関わるかもしれない大変なことに巻き込もうとしているのはわかってる。でも、誰かに話さないと、このままあたしがパンクしてしまいそうだったんだ。

「たすけて」
 

澪はじっとあたしの顔を見つめている。ああ、やっぱり言わなきゃよかったのかも……

「……コズ」
 

 黙ってた澪がおもむろに口を開いた。


「あたし、もう殺された命とか見たくないんだ」


 ……?


 よくわからない返答にちょっとたじろいでいると、澪は少し微笑んだ。


「ちょっと、昔の話してもいい?」
「うん」
「ちっちゃいときね、妹や弟といっしょに近くの森で遊んでて、罠みたいなものつくって野生の子ダヌキを殺したことがあったんだ。それが親にばれちゃって。お母さんはかんかんに怒って、顔真っ赤にして、大きな声であたしたちを叱ったよ。お説教が終わるとね、黙って見ていたお父さんがあたしひとりを森へ連れていった。タヌキの死骸の前まで来たところで、お父さんが言ったの、」


 一息おいて、澪は続けた。「お前が今ここにくるまでに、もしも急に誰かに捕まって殺されたらどうする、って」
 ドキッとした。何かに心臓をギュッと握られたような気がした。なぜか、さっき駅で見た、逃げ惑う人々を思い出した。


「いやだ、そんなのこわい、って答えたよもちろん。そしたらお父さんね、じゃあどうしてこのタヌキにそんな怖いことをしたんだ、って言って。その時にあたしようやくわかったんだよね、自分は生きてたものを殺したんだって」


 澪の目は、どこか遠くを見ていた。

「どれだけ泣いてごめんって謝っても、動かなくなったタヌキにはもう何も届かない。親ダヌキは悲しむ。死んだ生き物の体は冷たくて、もう絶対に目を覚まさない。――こういうのってさ、ぜーんぶ『あたりまえ』のことだよね。あたしは、自分の手で生き物を殺してやっと、『あたりまえ』を知ったんだ」


 当時の自分を許すようなやさしい口調で、澪はぽつりぽつりと話した。

「……奪われない限りは、誰にでも平等に未来があるんだよね」
 

 あたしは、動物や昆虫、いろんな生き物に対して澪がいつも優しくおおらかである理由がわかった気がした。幼かった澪は、命の重みを、身をもって知ったんだろう。


「とにかく」
「うん」
「できることなら誰にも死んでほしくないよ」

 小さい、だけど力強い声だった。

 澪が逃げずに燃える駅舎を見つめていたのは、そういう気持ちがあったからだろう。

「人がたくさん死ぬのなんて見てらんないよ。ねぇ、コズ、こんなこわい計画、止めなきゃ」
「うん、うん、」
「そうだ、マッチ呼ぼうよ。あの子なら賢いからさ、きっと助けてくれる。それで、これからどうすればいいかとか、3人で考えよう?」


 澪はすぐに真知子に電話した。あぁ、いつも学校で聞いてるようなテンションの会話だ。あたしは別に大丈夫だよー!(たぶん駅の爆発のことだろう)とか、ちゃんと買ってくるから!(たぶん杏仁豆腐のことだろう)とか、笑いながら真知子としゃべってる澪を見て、改めて、あたしは本当にいい友達を持ったなぁと思った。

「よーし。今マッチ呼んだから! すぐ来るように言ったから!」
 いろいろな意味をこめて、ありがとう、と言おうとしたとき。


 玄関のドアがガチャッと開いて、

「ただいまー」
 と、声がした。
 この声はまさか……!

「ヤバイ……」
「え、ちょっ、どうしたの、」
「早く、早く今の書類隠して!」
「え? え?」
「お父さんが帰ってきた!」
「えぇぇぇ!!」



【第三話へ続く】


 上空がキラリと光った。


 見上げると、何かが降ってくる。あれは……枕?愛用の枕だ。枕は、あたしめがけてまっすぐに落ちてくる。あたしは、ゆっくりと両手広げてそれを受け止め……ってちょっと待った。

 枕が何かおかしい。

 近づくにつれてようやく理解した頃には遅かった。枕が大きいのだ。自動車ほどの大きさになっている。


「いぎゃぁぁぁああああッ」

 不覚にも女子高生らしからぬ雄叫びをあげて、あたしは呆気なく愛する枕(の、20倍くらいの大きさの飛来物体)の下敷きとなった。
 ああ、だめだ、あたしはこんなところで枕に潰されて死ぬのか……。その時、


「こずえー!」
 

 薄れていく意識の中で、友人たちの声をきいた。澪と真知子だ。


「コズ、今助けてあげるからね!」
「さあ早く、この枕の中身を叫びなさい!」

 中身……?


「中身だよ中身!羽毛?綿?スポンジ?ビーズ?」


 なぜ中身?えーと、コイツの中は確か……そばがら。

「え、何!?聞こえない」


 なぜか声が出ない。さっきはあんなにすさまじい雄叫びを響かせたのに。そもそも、このワケわかんない展開は一体何なんだ?だめだ、息ができない。そばがらが詰まっただけの枕がこんなにも強いなんて。そばがら、そばがら……


「よし、それじゃあ、せーので叫ぶんだよ!」


 澪が急かす。え、ちょっと待ってよ、話の流れがよくわかんないんだけど……!


「せぇーのっ、」





「そばがらぁっ!」





 叫んでバッと起き上がると、そこには見慣れた授業中の風景が広がっていた。あたしは即座に理解した、すべて夢だったということを。そして今この瞬間、自分は級友たちにとんでもない醜態を晒しているということを。

(やっちゃった…)


 馬鹿げた夢の出演者たちをチラリと見やる。澪はうずくまって小刻みに体を動かしている。爆笑を必死でこらえているらしい。真知子はあたしを一瞥した後、また黒板に向き直ってノートをとっている。ちょっと、二人ともこの状況をフォローしてよ!夢の中ではあたしのこと助けてくれたじゃんか!


「城岡」


 先生が引きつった笑顔でこちらを見つめていた。

「蕎麦殻がどうした?」


「……すみません」
「お前なあ。こんなにでかい声で寝言しゃべる生徒も初めてだぞ……家でちゃんと睡眠とれよ」
「はい」

 恥ずかしい。穴があったら入りたい。むしろ穴を掘って入りたい。顔から火が出るとはこのことか。いや、この恥ずかしさは、火が出るっていうよりは線香が長い時間かけてじわじわ燃えてるような感じだ。あああ嫌だ!


 黒板を見て授業内容を思い返そうとしたがまったく内容が分からなかった。教科書は開いてすらいない。こりゃ完璧に寝てたな、と反省すると同時に、黒板に書かれた「枕草子」の文字を見て、あたしはなぜ夢に枕が出てきたかを理解したのだった。

「こずえ、あんた最高なんだけど」
「あたしは最低です」
「そばがら!そばがら~。いーっひっひっひ」
「黙らっしゃい澪」


 放課後、教室でポッキーをボリボリと食べながら、授業中に見た夢の内容を話すと、澪も真知子も大爆笑だった。


「だって、二人が、枕の中身を叫べーとか言うから!」
「そんなこと言わないよぉ」
「あんた、どんだけその枕愛用してんのよ」
「たかが枕、されど枕よ。愛用枕のパワーをなめられちゃぁ困るね」
「あ、やばい!もう電車来る。じゃあねっ」


 澪は手をブンブン振りながら、すばしっこく駆けていった。






 この地方都市「小沢野市」の中でもかなり山間部に位置する澪の家は、私立の霊園だ。以前澪の家に遊びに行ったときに、何も聞かされていなかった真知子とあたしは眼前に広がる墓地に驚愕した。


 きっと雄大に広がる自然の中で自然や生命に対する心を育んできたのだろう。おおらかで無邪気な澪は、動物や昆虫にやたら好かれる。たとえば授業中、窓から教室にハチとかチョウチョが入ってきたら、奴等はだいたい澪の席へと飛んでいく。そして澪と笑顔で戯れている。


どんな凶悪な犬でも、有毒な虫でも、あの子の手にかかればマイナスイオン放出体になってしまうのだ。




 そんな澪とは対照的に、真知子は超お嬢様育ちだ。


 家が大きな電器屋を経営しているらしい。土日の過ごし方や持ち物を見る限り、相当の金持ちだということは明らかである。そういえば「こないだデンマーク行ってきた」とか言っていた気がする。


 加えて、真知子は美人だ。頭脳明晰、スタイルもいい。女子としてのステータスは、かなりのものだと思う。……性格を除けば。育ちのいい彼女は、性格に大いに問題がある(こんなこと本人の前では口が裂けても言えないけど)。とにかくワガママなのだ。


 それでも、その性格の悪さをカバーしてしまうような色々を、真知子は持っている。

 それに、なんだかんだで、困ったときはその勝ち気な性格でもっていつも味方になってくれる真知子を、あたしは信頼している。






 こんな親友たちと毎日を過ごしながら、あたしはもう高校2年生になってしまった。


「そばがらとか言ってる間に青春終わっちゃうよ」


なんとなくつぶやくと、真知子が「じゃあ羽毛とかスポンジとか言えばよかったんじゃないの」と吐き捨てた。いや、そういう問題じゃないよ真知子。


 鞄から家の鍵を取り出して、家に入った。


「お母さん、ただいま」

 あたしのお母さんは、もう生きていない。

 もう会えない。


 それでも、写真の中のお母さんはいつもあたしに笑いかけてくれるんだ。

 だから、兄ちゃんがもう何日も帰ってきてないことも、お父さんが最近すごくピリピリしていることも、最近ニキビが増えてきたことも、別に平気。


 何をしていても、お母さんはテレビの上の写真立てからいつもあたしのことを見ていてくれるから。つらいことがあったら、黙って、黙って、やり過ごす。
 

 あたしは、真知子が「廃墟の写真集を貸してほしい」と言っていた(彼女は本当に変わった子だとつくづく思う)ことを思い出して、お父さんの書斎へ向かった。 


 久しぶりに入ったお父さんの書斎は、書類や本やファイルで相変わらず散らかっている。お父さんは、市役所だか地方自治体だか知らないけどそういう感じのところに勤めているらしい。今までは職を転々としていたから、あたしは実を言うとよく知らない。


いろいろと考えを巡らしながら棚に目を走らせる。

「あ、あった」

 椅子に上って、目的物を手に取った。これだ。『破滅の美学』。パラパラとめくってみると、錆びた鉄筋や草ぼうぼうになった公園の写真がたくさん載っている。少なくともあたしには、それらからは美的なものを見出せない。あの子はこんなもん眺めて一体どうしようというのか。


 その時。

「うぉわっ!」
 

 開いていた窓から、強い風が吹いてきた。残念ながら、発達した反射神経もバランス感覚も持たないあたしは、あえなく床にひっくり返った。


「いったぁー……」

 お尻を強打したようだ。鈍い痛みが響く。
 そして、ゆっくりと上半身を起こしたあたしの顔にさらに一撃、強風に舞い上がった紙がビシッと張り付いた。
 ……。

 視界を塞いだ忌まわしき紙をつかんで、顔から離した.


 イライラして、そいつをぐしゃぐしゃと丸めて、壁に投げつけようとしたところで、ドキっとして手を止めた。その紙に、なんだか嫌な文字列を見た気がしたのだ。 シワのついたその紙をピンと伸ばす。瞬間、あたしの目に飛び込んできたのは、



 小沢野市に於ける人口削減計画  No.1


 小沢野市とは、この街のことだ。そこまではわかる。理解できないのはその続きだ。「人口削減計画」?ジンコー・サクゲン・ケーカク?中国の「一人っ子政策」みたいなことでもするのかな。「No.1」って書いてあるってことは、この紙1枚で終わりじゃないってこと?


聞きなれない言葉の真意が気になって、読み進める。



 社会実験

 2050年 7月14日(月) 18:30 小沢野駅 駅舎倒壊



 社会実験?いったい何のことだろう?この街で、何の実験をするんだろうか?
 14日って、今日だ。時計を見ると、今ちょうど30分になろうとしているところ。そんなことより、不安なのがその続きだ。




 駅舎倒壊




 (駅舎が倒壊する……?)

「!」

 そういえば、電車通学の澪は、小沢野駅を通過するはずだ。これってまさか―――
 次の瞬間、遠く、小沢野駅の方角から爆発音が聞こえた。


【第二話へ続く】