「悪」は、いつだって役に立っている。 | 心笑亭 杉のの笑いの空間

心笑亭 杉のの笑いの空間

只今ブログ改変中です。しばらくこのままでお許し下さい。

皆様こんにちは。

選挙はなんだかな状態で終わったけれど、

THE MANZAI2014では、

博多華丸大吉の優勝に歓喜の声を揚げ、

すっかり気分もアゲアゲな、

愚痴聞きカウンセラー作家の、心笑亭 杉のです。






昨日告知した、

年末大掃除キャンペーン!!

さっそくお二人様のご応募が!!

ありがとうございます!!

杉のは嬉しいっ



しかし、

あれ?

どうしたかな?

なにかの間違いか?

お二人共、目玉特典「杉の直筆年賀状」の件には触れておらず。





杉のったら、やっぱり人気者!!(←あえて言ってみる作戦)




………。




さてさて、それはさておき。



今日は、『バランス』つうのもについて少し。


「自然破壊が進んでから、自然界の摂理が狂い、様々なところで支障を来たしている」


てな話はよく聞くけれど。


聞く所によると、今、いろんな新種のウイルスなんかが次から次へと発見されるのも、

実際は、ジャングルなどにひっそりと住んでいたウイルスちゃんたちが、人間に住処を奪われ、

仕方なく人間界に進出してるっていうのが理由らしい。


そして、その地球上のある場所だけで、

望んでもないのに近辺の住民たちに迷惑をかけることになってしまったウイルスちゃんたちは、

人間が、飛行機というもので全世界に移動できるようになっちゃったものだから、

そのウイルスちゃんたちの意思とは関係なく、

知らず知らずのうちに世界中に広まってる、というのが研究者たちがよく述べる見解。



結局は、


人間って、「便利な世の中」、「住みやすい世の中」を求めようとすればするほど、

本当は、「生きにくい地球」を作っちゃってるんだろうね。



もしね、

この世の中を何者かが作っているのだとしたら、

きっと、

最初から、

「なにか足りない」

「なんか不満足な」

「少し、出来ぞこない」

そんな、

不具合だらけの世界にしているのだと思うのだ。


つまり、


その、


「なんかそれって、人間にとって『悪』じゃね?」


みたいな部分を最初から作られてるとしたら、


その「不具合度」は、

その何者かから見た「最高のバランス」によって作られてるんじゃないかと、

杉のは最近とっても思うのだ。


それをね、

その人間にとっての「不具合」を、すべて取り払おうとすることが、

人間、そもそもの過ちなのかもしれないね。



人間は、大昔から「幸せ」に生きるために知恵を使ってきた。

その長い長い歴史を得て、

今、私たちは、


「自分たちが裕福な暮らしをするために」と、子供を作ることを制限する夫婦が増えた。

すると、

子供の数は減ったと同時に、老人の数は増え、

新たに介護問題、年金問題を作り出し、

老後の自分たちの幸せさえ脅かす世の中になった。


「タバコは身体に悪い」と、完全に喫煙者を悪者にすることで、

それまで、「覚せい剤」には手を出すことのなかった普通の若者たちが、

自分だけでなく、副流煙以上に他人を危険に巻き込む、

「危険ドラック」というものに、「少しの快感」を求めるようになった。


もちろん、それら個々には関連性はないけれど、結果、排除したそれ以上の問題に右往左往する世の中になっていることは確か。


これは、

「イジメ」をなくそう。

「体罰」をなくそう。

「ハラスメント」をなくそう。

「女性蔑視」はやめよう。

「菌」をすべて排除しよう。

も全て同じ。


なくそうとすることは決して間違いではないけれど、

完全にそれを『悪』とみなしてしまうことで、すべてのバランスが崩れている。


「正しさ」「善」だけの世の中にしようとすればするほど、

すべてが、

まったく違う「間違い」「悪」を作り出している、それが今の世の中なのかもしれない。



なんでもバランス

「必要悪」というものは、確かにあると、杉のは思う。



だって心も同じだもんね。


自分の中の「善」「悪」

自分の「いい感情」「悪い感情」


それらは、

誰もが持ち合わせている心に、

最初から組み込まれて人は生まれてくる。

おそらく、

最初は、何者かに配合された、絶妙なバランスによってそれらは構成されているのだと思う。


その「悪」だけを否定することから、心に偏りができる

その「悪い感情」を、素直に受け取ることなく、ないものにしようとしてきたことで、

知らず知らずのうちに、大きな「苦しみ」を生み出している


自分の中の「悪」を認める。


そうすることで、世の中の「悪」も、認め、許すことが出来るのだ。



だけどその「悪」は、いつまでも心にとどめることなく吐き出そうよね。

そんな「悪」の自分を、しっかりと抱きしたあとはさっぱりと捨てちゃおうよね。

おもいきり、「悪」の自分になりきっちゃって成敗してやろうよね。


そうすることでね、真逆の「自分の善」が、光り輝いていることに気づくんだよ?



「悪」があってくれるから、「善」がある。

最初から「悪」が存在しないのなら、「善」というものも最初から存在しない。


だって、


「善」は、「悪」のおかげで成り立っているのだから。




年末キャンペーン、「愚痴聞き部屋」でお待ちしております。





宣伝




それではまた。