皆様こんな時間にこんばんは。
今、敦賀ではお祭りが始まっており、
数年前なら毎日通うほどお祭り大好き人間だったのに、
最近では、
「誰か三宝屋のカステラ買ってきてくれんかな~」と、
ただ願うだけの、すっかり並ぶことさえ拒否し始めた、
愚痴聞きカウンセラー作家の、心笑亭 杉のです。
◆カウンセリングを受けるほどではないけれど、誰かに話を聞いてもらいたい。
◆とにかくこの気持ちを吐き出したい。
◆ブログに書くと、読んだ人が誤解をしたり、イヤな気持ちになることを避けたい。
なるほど。
杉のも落ち着いた大人の女性になりつつあるしな、と。
さてさて。
今日は、ずいぶん前カウンセリングさせてもらった、
今では、すっかりお友達になっている人から、
いろんな意味で、嬉しい報告をもらった。
嬉しい、って言ったら、ちょっと今のその子にとっては痛いかも知れない。
でもね、
人って、ほんと「変わりたい」って心から願い、
それまで、絶対に「許せなかったこと」を、経験することで、
こんなにも、変われるものだと実感した。
その友達は元々、人として大切なことを、よーくわかっている人で。
だからこそ、
人の間違いを許すこともできず、
何を見ても腹を煮えくり返し、
人を憎み、
正しいことだけを口にし、
ちっとも幸せそうには見えなかった。
でも、その人は、杉のにとって、とても好感度が高かったのだ。
「なんて正直な人だろう」
人っで普通、そういう自分は隠そうとするから。
心の中では、人を馬鹿にし、
自分はとても素晴らしい人間だと、「間違った人と自分」を比べ、
あんな低次元な人間じゃない、と思っているくせに、
表では、
とてもいい顔をしてる。
いいことだけを口にし、
自分の心の中には、一切曇はございません。
みたいな顔をしていている。
そして、同じような人たちばかりを引き寄せ、
お互い、影で不満を感じ、
それでも、
一件、
とても幸せそうにしている人が多いのだ。
ある意味、杉のもそんな人間。
むしろ、それが杉の。
でもその子は違った。
見るからに、不幸そうだった。
だからこそ、杉のはその人に惹かれたのだと思う。
てか、その人、自分でも「不幸」だと認めてるし、
常に、
「なんでみんな自分をみとめてくれないんだろう」
と、悩んでいるくせに、
「こんな自分は何も持っていない」
と、自己否定ばかりしていた。
その人から、ある日、カウンセリングの依頼があり、
何度か、やり取りをしている中で、
杉のは、ある提案をしたのだ。
それは、彼女にとっては、
「最低な人間になること」であり、
具体的に「〇〇をしなさい」と指定するいう、
カウンセラーとしてはあるまじき、
半強制的なものだった。
その子は、もちろん、「ありえない」と拒否してきた。
でも杉のは、
事あるごとに、
「とかなんとかいってないで、やっちゃいなよ」
と、その絶対にその子がしないであろうことを、
強引に勧めまくったのだ。
そうやって、
「ありえんし!気が向いたらトライするわ」
と笑ってカウンセリングは終えたのだけど、
しばらくして、
その子の言動が変わり始めた。
明らかに、
人を上から見下し、馬鹿にしたような態度ではなくなったのだ。
言っていることはなにも変わらないのだけど、
相変わらず、正論や愚痴を吐いているのだけど、
それでも、
それは、ただの、「彼女の意見」に変わった。
そう、それまで、
「こう考えない人は間違っている」
と言わんばかりだった彼女は、
「でも、他にも違う意見はあるよね」
と、正反対の他人の意見を受け入れるようになっていたのだ。
明らかに、彼女の心の中の黒い塊が、消えているように杉のには見えた。
彼女ね、その頃、
杉のが提案してきた、
「ありえないこと」
に、一歩足を踏み入れていたのだ。
そう、
実行していたのだ。
そして、その結果の報告が今日、杉のに届いたわけで。
、
ま、結局、彼女の「清水の舞台から飛び降りた事件」は、
何事もなく、
人の素晴らしさを痛感することだけで終息を迎えたのだけど。
彼女は言った。
「自分って、素晴らしいわ」
そして、その清水の舞台に一緒に上がってくれた人に、
「とても感謝してる」
と。
今にも、涙を流さんばかりの思いを込めて。
もちろん、これは、杉のの提案がビンゴだったというのではなく、
彼女自身が、長い間、自分の生きづらさと戦って、
いろんな人と出会い、
いろんな人から学んだ結果として、
ただ、今回杉のの、一件アイタタな提案を実行しようとした、
彼女の「変わろうとした結果」なのだ。
人ってね、
どんなに「正しいこと」を貫いていても、
どんなに「正しいこと」を知っていても、
その「正しいこと」ではない、向こう側を知って初めて、
それが「自分の中での正しいこと」だと知るんだよね。
その反対側を知るというのは、
「上から」向こう側を、見下すのだけでなく、
そこに降りてこそ、はじめてわかることなのだ。
なにも、これは犯罪やいじめ、そういうものをすべて実際に経験してみろ、
と言っているのではなく、
実際に、不倫してみなさい、って勧めているのでもなく、
「その間違っていること」の中にも、
「正しさ」
「愛」
が、いっぱい詰まっていることを知ることなのだ。
そういうことを知って、また経験して、
その中で、「自分の中の正しさ」を見つけていく。
そうすることで、
今まで、自分が頑なに許せなかったなにかを、
「正しい」にしなくても、「許せる」自分を作り出すのだ。
世の中ってね、
いっても変わらないよ。
いじめや犯罪、「間違ったこと」は、絶対に無くならない。
反対!
間違っている!
許せるはずがない!
だけでは、世の中を変えることはできない。
それでもね、
そうやって、自分の周りのなにかを許せる人たちが多くなれば、
その中で、改めて、「自分の正しい」を貫き生きていける人が増えれば、
きっと、いつかは、
その「間違った」中でしか生きられなかった人たちを、
「許せる」日もやってくる。
その上で、
「それは間違っている」
と、「人として正しいこと」を伝えることで、
「許された人たち」の心も、
きっと、変わっていくのだと思う。
そんなことを杉の、思っています。
