ならば視点の種類。しかも、物語における語り手のあり方について、どのようなものがあるのか。それに対応して、どのような文章の書き方をしたら良いのか知ることができれば、視点を使いこなすことができるようになる、と言うことになる。
では視点には、どのような種類があるのか。
まず視点の区別には、人称がある。人称について辞書で調べてみよう。すると、こうある。
「動作の主体が話し手・聞き手・第三者のいずれであるかの区別。それぞれ、第一人称(自称)・第二人称(対称)・第三人称(他称)とよび、いずれかはっきりしない場合、これを不定称ということがある」
つまりは、ごくごく簡単に説明すると、自分で自分のことを語ると一人称で、誰か他人が語ると三人称だと言うことだ。
だがこれだけでは、まだどのような文章を書けば良いのかがわからない。
実際、人称の説明だけで、視点の狂わない文章を書けと言う方が無茶な話だ。視点の狂いに困っている人は、人称に対応した文章の書き方がわからない場合が多い。
そこで、もっと詳しく人称を区別してみよう。
以下に、『物語論辞典』(松柏社)の視点に関する説明の中から、もっとも詳細な分類法を引用してみた。
【編集者の全知】
全知の語り手は提示される状況や事象、その提示の仕方、背景などについて、自らの肉声で解説を加える。解説的な脱線や介入を自らのよりどころとし、それを特徴としている。語り手は物語世界の一部ではない。
【中立の全知】
語り手は全知だが、語っているという事実以外に何ら個性はない。語り手は可能な限り見えない。語り手は物語世界の一部ではない。
【証人としての「私」】
語り手は提示される状況や事象の二義的な登場人物である。語り手は証人であり、主人公ではない。提供される情報は、語り手の近く、感情、思考に限定される。状況や事象はその渦中からと言うよりはむしろ周辺部から眺められる。
【主人公としての「私」】
語り手は主人公である。提供される情報は、主人公である語り手の近く、感情、思考に限定される。この場合、状況や事象はその渦中から見られる。
【多元選択的全知】
異なる状況や事象の提示に、その都度、異なる視点を採用する語り手。語り手は物語世界の一部ではない。
【劇的様式】
もたらされる情報は、登場人物の言葉や行動に限定され、登場人物が何を見て、何を感じているかについての直接的な指示は与えられない。
【カメラ】
中立の記録者の立場で、目の前で起きた全てを、取捨選択せずに記録する。
以上を含め『物語論辞典』では、視点だけでも8種類もの分類が、先人の文学者たちの手によって行われている。
恐らくは8つと言うのも、まだ少ない方なのだろう。