2月某日、天気のいいある日
静岡県沼津市にある 伊豆長浜城を
友人とともにに歩いて来ました。
伊豆長浜城は、戦国時代関東一円を治めた
北条氏の水軍根拠地だった城。
旧伊豆国の君沢郡長浜(駿河湾)
ところで、ブロ友のNoRI迦さんの記事で以前
この城を見てからずっと来たいと思っていたのだが、
NoRI迦さん元気にしてるかなぁ?
水がめちゃくちゃ綺麗でしたよ
北条氏は、三崎や浦賀を根拠地とする
三浦水軍を組織し、江戸湾から里見氏の
勢力を駆逐する一方、今川義元亡き後、
駿河に侵入してきた武田氏に対しても、
伊豆の水軍を組織しその脅威に備えました。
1580年には北条水軍と武田水軍が交戦しています。
(駿河湾海戦。勝敗は不明。豊臣秀吉の小田原攻めに際しては北条水軍が小田原に集結したことから、小田原城の陥落に前後して、ここは廃城になったと考えられ、その後はマグロ漁の魚見場や近代には昭和40年まで三井家による別荘地になっていたようです。)
伊豆長浜城からは富士がめちゃよく見えます
内浦湾には小さい船舶がたくさん停泊してましたが
往時もこんな感じで軍船が停まっていたので
しょうな。
駐車場に車を停めて城の散策へ。
伊豆長浜城は15世紀後半に築城されたと
考えられていますが、詳しい築城年代、
築城者は不明な様です。
上の方に階段が伸びいて、上の方へ歩いて行く。
階段の途中に北条氏の家紋が。
途中の第三曲輪にある弁天社。
(曲輪とは、お城の中につくられた一つの区画のこと。城の一定の範囲を周辺と区別するために、土塁、石垣、堀などで囲いを設け、自然の崖や川で仕切られる場合もある。)
さらに行くと第二曲輪。
ここに掘立柱建物跡があります。第二曲輪は長浜城の中で最も広い曲輪で、発掘調査に基づき、建物が復元されています。
第二曲輪にある櫓(やぐら)。
発掘調査と周囲の状況により、第二曲輪と第一曲輪の連結する登り口の役割を果たしていた模様。ここは観光用に作られた展望台ではなく、柱穴の跡に合わせて正確に復元されたものだそうです。
天気もとても良く、富士山もまわりの海もとてもきれいに見えました。富士と駿河湾を見るだけでも来る価値があるかな、と(^^)
湾を利用した釣堀?がある模様。
ここは江間小次郎(北条義時)が
創建した神社ですな。
帰りの足柄SAにて
SAのラーメンおいしかったです
最近薬の服用のため水をたくさん飲むため、トイレが異常に早くて
途中のSA、PAなどは念のため、すべて立ち寄ってのドライブとなっています
健康維持のためウォーキングとか水泳とかいろいろ頑張ってはいます。
おわり