まだ盛夏の頃。
 







去る7月26日(日)
赤山地下壕を歩いたあと、車を30分ほど走らせ
安房国一之宮であるところの安房神社へやって来ました。
ここは初めて来ました。


創建は初代天皇の神武天皇が即位した皇紀元年(紀元前660年)。
神武天皇の命令を受けた天富命(あめのとみのみこと)が阿波国(徳島県)を開拓した後、
黒潮に乗り房総半島南に上陸。その地で麻や穀物を植えたという。また自身の先祖にあたる
天太玉命(あめのふとだまのみこと)と天比理刀咩命(あめのひりのめのみこと)を祀り
これが安房神社の起源といわれる…そうです。(他サイトより)








参道脇にある池…大きな鯉がたくさん泳いでました。








まずは参拝。

一之宮だけあってかなり大きな神社なのですが、
その大きさ広さがわかる写真が撮れていませんでした。













そして海軍落下傘部隊慰霊碑に参拝します。神社の案内板によると、
横須賀鎮守府の第一特別陸戦隊43名、第三特別陸戦隊46名の戦没者の名が記され、
当時の田中角栄首相の揮毫だそうです。










しばし手を合わせていたら、突然光が射しこんで来ました。
なんと不思議な…







スポットライトの如く光が。
これはたぶん英霊が応えてくれましたねニコニコ






傍らにある碑詩です。



「 碑 詩 」

太平洋戦争を告ぐる昭和十六年後期 我が国最初の海軍落下傘部隊として誕生し、 十八才より四十五才までの精鋭なる将兵二千有余名により編成、任務の特質上、其の訓練は厳正なる軍規の基 猛烈にして不撓不屈の落下傘部隊魂は茲に編成された。 第一特別陸戦隊は昭和十七年一月十一日・十二日 セレベス島メナドランゴワン飛行場に十字砲火を浴び戦闘降下を敢行 更に第三特別陸戦隊は、同年二月二十日・二十一日チモール島クーパンに戦闘降下を敢行 共に占領に成功 其の功績の顕著なる事に対し時の連合艦隊司令長官山本五十六大将より感状を授与せらる。爾後大スンダ、小スンダ列島の島々を制圧、次期作戦準備の為、一旦内地に帰還し、戦争の末期 再度灼熱の南洋サイパン、トラック、ナウルの諸島に作戦し、特にサイパンの戦いは惨烈を極め善戦の甲斐もなく昭和十九年七月十六日全員玉砕す。我等茲に往事を顧み戦友相謀り志を結集し今は亡き戦友の霊を慰め其の功績を永く讃えんものと当隊発祥の地、ここ舘山に慰霊碑を建立した。


昭和四十八年十一月十日
元海軍落下傘部隊隊員一同建立

(*碑文が解読できなかったゆえ、コピペであります)








館山海軍砲術学校第三期兵科予備学生戦没者慰霊碑。
229名の戦没者の名が記され、建立の際に同じ数の桜が境内に植えられたとか。





近くには日露戦役記念碑もありました。
戦いに斃れた先人達のご冥福を深くお祈りさせて頂き、神社を後にしました。










参道横の崖にはこんな穴が掘られ、
防空壕かと思ったら磨崖仏が入っていた穴みたいです。







植生が南国っぽいんですね








来た道をもどり次なる場所へ。
道すがら見えたのどかな景色…ほんと良い天気でした(^^)










つづく