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休日には近くの川べりを早朝散歩することにしている




ここはとある神社の参道として地元では知られており川と田畑に挟まれた一本道がつづいている

のどかな田園風景をたのしみつつ往復1時間ばかしの距離がちょうどよく


道ゆく人々すれちがいざまかるくあいさつなどするのが通例となっている




ここに越してきた20年ほど前は山や森、林の中に住宅地があるといった風景であったが




もはや近頃では山々は遠くにしか見えず森や林や原っぱなどはことごとく宅地となってしまった




ところがこの参道は環境保護地区とされており、




いつ散歩をしても変わらぬ景色に心癒されるのだ。




今日は暑くなるかと予想していたが湿度は低く雨もあがって最適とおもえるコンディションであった




この散歩道に違いを感じ始めたのはかれこれ1年ほどまえくらいか

最近ではますますそれが顕著だ



うまく言葉で表現できないのだが



もともと美しかった景色がもはやとんでもなく美しい・・

としか表現のしようがない



これまではどこかしら濁っていた水、どこかしら霞んでいた木々草花の風景が




突然それらが祓われたかのように




壮麗なるきらめきを宿しており




ただならぬ清陵感すら感じられる


川べりの緑にはあざやかな紫、黄色、白の花々が咲き乱れ




色とりどりの蝶たちが舞うすがたにもはや楽園そのもの



遠方に蒼々とそびえ立つ山々の深くかつ透明度のある緑


そのあまりの美しさにわたしは度々歩みを止めずにはいられないのだ




わたしはこの景色を思う存分呼吸しながら




自然な感謝の思いというものを改めて感じた




私たちの生きる世界は確かに違ってきている




それをしみじみ感じるためにたっぷりと時間をとりつつ




委ねるということの意味深さをつくずく感じていたのだ




人間界の悩みの全てが払拭されたとまでは言わないが




わたしはここ最近かなりいいかんじでいろいろなものやことから




開放されつつある




リアルで嫌なことがあっても割と次の瞬間切り替えられているし




楽しいことを楽しいままに




うれしいことをうれしいままに




なんというかコツってやつを掴みかけている




自分に甘く優しくとはいっても




多くの現代人は自分にとっての快の感覚すら




はぐらかして生きてきたために




自分のニーズがややもするとわからない




心のままにありのままにということが返って一番難しいと




感じてしまうのだ




社会的規範、あるいは常識といったものをひとつひとつはずしていくのはなかなか困難で




だからこそ高次のエネルギーが影となりひなたとなり私たちをサポートしてくれるということなのだろう




アセンションは自分でするもの、という言葉の意味が最近だんだんとわかってきた




自分自身をコントロールしつつ




上手にコントロールを手放すことだ




相矛盾するこのふたつのことを同時に行う必要がある




つまり片方にかたよろうとする自分を中庸の場所へと引き戻し(コントロール)




これまでの行動規範(エゴによる)にしたがった部分を手放すということなんじゃないか




やってみれば拍子抜けするくらい簡単で




簡単すぎて多くのひとが忘れてしまっている感覚なのではないだろうか




ここ3D地球での学びは




簡単なことをわざわざ難しくするというのが基本ルールだ




もともと完璧な魂が愛(創造の源)からうんと遠くに引き離され




そこに気づきそこに帰るということなのだ




たくさんの贈り物をたずさえて・・・




贈り物の点検は済んだだろうか




あんな嫌なこと




こんな嫌なこと




いっぱい辛いこと




悲しいこと




苦しいこと




をとおしてしった喜び




見失って見つけた宝物




これらをひとつひとつつなげていくと




ほかのだれのものでもないオリジナルの自分のものがたりとなり




だれもが感動せずにはいられない至珠の宝となり



これからのリアル宇宙(あなたのふるさと)での進化の礎となるのである



なんとみんながんばったよね



これから誰と出会うんだろう



魂の仲間たちとたくさん出会っていくんだろう



そんなこんなに思いを馳せ



へらへらと笑いながら地元の道を歩くわたしは



正直知り合いがみたら



とうとうきたか・・・と思われるにちがいない