癒しの光―自己ヒーリングへの旅〈上〉/バーバラ・アン ブレナン
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★ ヒーリングの才能はすべての人に宿っている ★


怪我をしたときにまず最初にすることはなんだろう、

まず痛む部分に手を当てるのではないだろうか?

この本能的な行為は同時に、痛む箇所にエネルギーを送ることにある。

深く愛情を感じている人に触れるときには、

知らない人より強い効果があることに気づくだろう。

自分の手に特別なエッセンスを込めたためだ。

その人に対して抱いている愛情のエッセンスである。

このように言われれば自分は実はヒーリングを知っているのに気づいてなかっただけだということが分かるだろう。


=原初の痛みを隠すために「仮面の自己」が形成される=


生まれたばかりの頃、人はまだ偉大なスピりチャル界の知恵と力に、自己のコア(核)を通じて非常に強くつながっている。

この自己のコアとの、繋がりは完璧な安心感と畏敬を与えてくれる。


しかし成長するに従って自分を外部の環境から守ろうとしてくれる両親の声にとってかわられる。


子供の精神は必死に生まれ持っていた原初の知恵を機能的自我ととりかえようとする。

残念ながら、押し付けられた、あるいは取り込んだ両親の声は決して取って代わることができない。

そこで「仮面の自己」(マスク)がつくられる。


「仮面の自己」とは自分んを正しいものにしようとする最初の試みである。

これによって人は「自分の姿」をポジティブな形で、かつまわりの世界に受け入れられるような形で表現しようとする。


世界は自分を拒むのではないかと恐れているので、これならば周りから「正しい」と言ってもらえるだろうと信じる「仮面の自己」を示す。


そうすれば世界に受け入れられ、安全だと感じられるだろうと期待する。


「仮面の自己」が他者とつながろうと務めるのは、それが「正しい」行動だからだ。


しかし仮面の自己は他者との深いつながりを確立することはできない


それ自体が人格の本質を否定するものだからだ。


仮面の自己は自らのうちに恐怖やほかのネガティブな感情が存在することを否定する。

人はこの仮面をつくりあげるのに精一杯の努力を注ぎ込むがうまくゆかない。


仮面は決して求めている内面的な安心感をもたらすことができない。


仮面がもたらすのは「詐称者」であるという気分だ。


というのはいくら自分が善良だということを証明しようと努めてもつねに「善い者」であることはできないからだ。


(中略)


人は他人の規則に従って生きなければならないことに怒りを覚える。


本当はやりたいと思うことだけやっていたい。

やがて疲れ腹をたて、もうどうでもよくなり、ネガティブな不平や不満をぶちまける。

そして他人を傷つける。

仮面と一緒に抱え込んだエネルギーは、ねじれ、押し付けられ、漏れ出し、他人にぶつけられる。

そしてもちろん本人はそれさえも否定する。

というのは意図しているのは自己の安全を守ることであり、そのために自分が善いものであることを証明しなくてはならないからだ。


内部のどこかで、人は悪態をつくことに快感を覚える。

抑圧されているエネルギーをはきだすことには、それが明確で直接的なものでなくとも、またその行動が責任あるものでなくとも、開放感がある。


人間のうちには、自分のネガティブなエネルギーを誰かほかの人間にぶつけることに喜びを覚える部分がある。

これは「ネガティブな快感」とよばれる。

その根源は「ロウアーセルフ(低い自己)」にある。