総裁・代表選候補のお粗末
政治家は国民を映す鏡
自民党総裁選挙が9月27日、立憲民主党代表選挙が9月23日に行われる。
自民党総裁は総選挙で過半数割れしなければ、総理大臣に指名されるため、
事実上次の総理を選ぶ選挙となる。
岸田総理が退陣表明をしたとき、ある人の言葉を思い出した。
著名な政治評論家で、自民党首相の秘書官を務めた人が私にこう言った。
「橋本龍太郎が自民党最後の首相、その後の総理候補者はいない」
どういう意味か尋ねると。
「自民党は、各派閥が常に次の総理候補を厳しく育てて来た、だから首相が辞めても
次々と総理候補が浮上して、有権者の支持を集めていた」
「ところが、橋龍以降の自民党の政治家は、総理候補を育てることを放棄して、
皆自分が総理になろうとしたのだ」
「そのいい例が森や小渕、麻生、といった連中だ」
小泉純一郎が総理になるまで、自民党の短命内閣が続いたのは、
総理の資質が無い連中が選ばれた結果だった。
その反省もなしに、今回10人を超える有象無象が総裁選に立候補しようとしている。
8年も総理をやった安倍が後継を育てなかったのは、己の無能を証明している。
総裁候補の顔ぶれを見ると、愕然とする。
自己陶酔と勘違いの衆が雑魚に見えるのは私だけではないと思う。
一方、野党第一党の立憲民主党の代表選挙も人材払底を象徴するかの如き、
候補者が顔を揃えた。
彼等には、何故野党第一党でありながら政党支持率が自民党の半分以下しかない
ことが理解できないでいる。
資本家と結託した似非労組の連合票だけを
充てにしているから、9割を占める中小零細労働者から見放されているのだ。
政治の無力、政治家の無能、原因は何処にあるのか。
それは、我々有権者が政治に対していい加減だったことに原因がある。
”経済が一流なら政治は三流でも構わない”
高度経済成長期以来、日本の多くの有権者は、自らの懐が豊かになれば、
あとはどうでもいい、という利己主義に陥っていた。
生活排水を綺麗にするため、洗剤メーカーは食器洗いにヤシ油を使用した。
その結果、河川の水質は改善されたが東南アジアの密林は、多くがヤシの木の
密林に変化して野生動物の生息環境を破壊した。
農民は、日本へヤシ油を輸出するため、ジャングルを次々と焼き払ったのである。
国内に目を向ければ、我々の政治への無関心が2世、3世議員の誕生を許し、
我々の政治へのいい加減さが、いい加減な人間を政治家にしてしまった。
その結果が自民党総裁選と立憲民主の代表選に表れたのだ。
政治家は国民を映す鏡である。
馬鹿な政治家はバカな有権者に選ばれたのだ。