習近平「きょうは何の日」1989年6月4日 | 洋左右的人生

習近平「きょうは何の日」1989年6月4日

 

        亡命民主活動家へ暗殺や脅迫

 

1989年6月4日、民主化を要求して北京の天安門広場に集結した

100万人の労働者や学生、市民が人民解放軍により大勢が虐殺された

天安門事件から今日で35年となった。

死者319人(政府、欧米は1万人と認識)を出した武力弾圧について、

中国政府は昨日、「政府の対応は正しかった」と改めて強調した。

自国の軍隊が市民を殺して正しかったという恐ろしい思考、

人命が空気より軽い国だ。

 

1989年の天安門事件35周年を前に、海外の民主化活動家や人権活動家に対する殺害予告が報じられ、警察官が派遣されて警護に当たったことから、中国が海外の天安門事件を弾圧する意向を示している。 (APファイル写真)

虐殺が起きた広場は今月に入り、厳戒態勢が敷かれていて、一般車両や市民の

通行は禁止されている。

 

「不忘64」(事件を忘れるな)を合言葉に、世界各地で中国政府への抗議が

行われている。写真は2日にロンドンで行われた集会の様子。

 

BBCやVOA(ボイスオブアメリカ)によると、集会に参加した中国人や

チベット・ウイグル人、香港人の民主活動家に対して、

殺害予告や多数の脅迫文が寄せられ、ロンドン警察に身柄の保護を求める人が

多数いるという。

 

天安門事件前夜、香港の繁華街である銅鑼湾(コーズウェイベイ)では、多数の香港警察官が追悼行事を警戒してパトロールした。 (AFP通信)

民主化運動が弾圧された香港では、銅鑼湾などの繁華街に多数の警察官が

配置され、市民を監視している。

 

1989年6月4日の弾圧を命じた鄧小平は、

世界からの厳しい非難に沈黙を続け、改革開放を加速させて非難の嵐が

止むのを待った。

「人民が肥えれば痛みは消える」鄧小平はそう考えた。

 

アラブ首長国連邦のムハンマド・ビン・サルマン・ビン・サルマン大統領(右)は5月30日から31日にかけて中国を訪問し、中国の習近平国家主席と会談した。 会談に先立ち、習近平国家主席は人民大会堂北ホールでムハンマド氏の歓迎式典を行った。 (新華社通信)

ところが2012年に独裁者となった習近平は、批判はおろか不満さえも許さなかった。

新彊ウイグルやチベット人の不満を武装警察を使って弾圧し、

中国語と簡体字の使用を強要、反対する人々を強制収容所に送り込んだ。

 

さらに、共産党に忠誠を誓わなかったとして、各地のキリスト教会を破壊した。

こうした弾圧を非難した世界各国へは「戦狼」と呼ばれる好戦的な外交官を

送り込み、その国の世論を攻撃した。

 

          (2018年の香港のキャンドル集会、その後禁止)

さらに、鄧小平が英国に約束した香港返還後50年間の「一国二制度」を

20年で反故にし、反対する市民や人権活動家を逮捕、

治安維持法である「国家安全法」を押し付けて、自由香港を監獄島にした。

 

14億の民が35年前に自国で起きた残虐な事件を語れないという異常な日、

習近平に聞こう、きょうは何の日?