花蓮地震に見る新旧建築の差 | 洋左右的人生

花蓮地震に見る新旧建築の差

 

      90年前の橋と去年開業のホテルが話題

 

1895年、日清戦争勝利で台湾を統治した日本は、

台湾島が日本と同じ地震多発地帯であることを知っていた。

統治2年後の1897年、総督府は台北に気象局を開設して、

気象観測と共に地震観測を始めている。

さらに、総督府や監察院、台湾帝国大学などは、鉄柱を使用して

耐震性を確保した。

 

1935年(昭和10)、新竹と台中で同時に起きた大地震では死者3200人、

倒壊建物1万7000棟の被害が出た。

この時、被災地を視察した中川総督は、木造と土壁の建物は耐震性が無いと指摘、

コンクリートを使用することと、2階建て以上の建物には柱に鉄筋を使用するよう

指示した。

現在、各地に残る老街はこの指示に沿って建築された家並みで、

老街を直線にして通りの両端付近に避難用の公園が設置されている。

一方で、コンクリートは価格が高く、夏場の猛暑に合わないため、

一般住宅にはほとんど普及しなかった。

 

荒廢52年再戰!下清水橋強震崩塌「90歲大學長0動搖」霸氣回歸…鄭明典猛誇1句

3日の地震でタロコ渓谷の清水大橋が崩落(左)、現場で土砂の撤去作業が

始まった。

 

52年を無駄にして再び戦え!大地震と清水橋崩落「90歳の大学長0揺さぶり」横暴返り... 鄭明天は1文を賞賛した

すると、大橋の開通で使用されなくなった旧橋が無傷だったことが判明した。

旧橋は日本統治時代の1932年(昭和7)に架けられた92年前の”遺産”だった。

 

52年を無駄にして再び戦え!大地震と清水橋崩落「90歳の大学長0揺さぶり」横暴返り... 鄭明天は1文を賞賛した

旧橋は7日夕方から通行が可能となり、渓谷に閉じ込められていた400輌が

無事脱出、TVは「感動的な光景」と伝えた。

以前、高雄で日本統治時代に教育を受けた人は

日本から「時間を厳守する」「約束は果たす」「仕事は手を抜かない」を

教えられたと話していた。

 

昨年オープンした「ルメリディアン花蓮ジェシー」では、外壁が剥がれ落ち、観客は衝撃を受けました

一方、こちらは花蓮に去年開業した高級ホテル。

 

昨年オープンした「ルメリディアン花蓮ジェシー」では、外壁が剥がれ落ち、観客は衝撃を受けました

そのホテルの外壁が今回の地震で剥がれ落ちた。

地元の市民は、「外観がおしゃれで綺麗に見えたのでびっくりした」と語った。

ホテル側は「外壁は以前にも剥がれて修復した」ことを明らかにし、

「客室は無傷で問題はない」と安全を強調した。

台湾では1999年の集集大地震の際、300キロ離れた台北で3つの

マンションが倒壊して70人の死者が出た。

現場検証で、3棟とも手抜き工事が判明して施工業者が有罪判決を受けたことを

きっかけに、業者の手抜き工事が大きな社会問題になっている。

92年前の橋と去年オープンのホテル、造る人間の差が出たのか。