台南市 228事件の絵本作成
街を救った日台ハーフの湯徳章を称える
戦後、日本に代わって台湾を支配した国民党が台湾人にした蛮行、
それが1947年2月28日に起きたいわゆる228事件と呼ばれる虐殺事件だ。
1992年、当時の国民党政権は死者・行方不明者の数を
1万8千人から2万8千人と推計したが、遺族や関係者からは少なすぎるとの
批判が起きていて、正確な被害者数は現在も不明である。
台南市文化局はこのほど、228事件で国民党により、
銃殺された弁護士の湯徳章(日本名坂井徳章)の功績を台南の子供たちに
伝えるため、絵本を作成した。
(絵本作成に携わった文化局と作成者)
(湯徳章の銃殺を報じた当時の新聞)
湯徳章は台南で国民党と地元の青年達の衝突を回避しようと
東奔西走している最中に逮捕・拷問を受けた後、”暴徒”として
市民の目の前で銃殺された。
銃殺の直前、湯は「銃殺は私一人で充分だ、他に罪びとはいない」と訴え、
「台湾人万歳!」を日本語で叫び凶弾に斃れた。
台南市は「市民を救った勇気ある恩人」として、銃殺現場の公園を
「湯徳章紀念公園」と命名、命日の3月13日を「湯徳章紀念日」と制定、
この日は、市長を始め多くの市民が胸像に献花をしている。
湯徳章の住居(写真)は、市民の浄財により、記念館としてリニューアルすることが
決まった。
2019年暮れに事件を再現した街頭劇は、多くの市民に衝撃を与えた。
228事件では当時、台湾にいた沖縄の漁民も犠牲になっていて、
日本人にとっても他人事ではない。
映像の後半には湯徳章の子息も登場する。