金門包丁はよく切れる
中共の撃ち込んだ不発弾が材料
大陸と目と鼻の距離にある金門島は、
1958年8月23日から10月5日にかけて、中国人民解放軍の激しい砲撃を受けた。
台湾では八二三砲戦と称している。
実質的な戦闘行為は1958年10月5日に終わったが、 人民解放軍による砲撃は1979年1月1日までの約21年間にわたって行われ、
島には470,000発の砲弾が撃ち込まれた。
砲弾の弾殻には非常に硬質 な鋼が使用されたが、不発弾が多く、
鋼は後に包丁やハサミなどに利用され、金門島の名産品になった。
その包丁について最近、ネット上では、
「材料はまだあるの?」「輸入品ではないのか?」などの疑問が出ている。
これに対して包丁の製作会社は、
30キロの弾殻から40~60の刃物を作ることが出来、
不発弾は今でも島の各所で回収されているので、材料には困らない、と話している。
(包丁を入れた手提げを持つ フィルム写真の再撮)
金門島には外国人の訪問が解禁になった直後に友人と訪れ、
土産に万能包丁と中華包丁、果物ナイフを購入した。
包丁は10年位使用した。日本の包丁よりやや重かったが、よく切れた。
ただ一つ、中華包丁が砥げず、寿司屋の御主人に砥いでもらっていた。
包丁は引っ越した際、全て処分したが、
料理が好きになったのは、金門包丁がきっかけだった。