中共(中国)は平気で嘘をつく | 洋左右的人生

中共(中国)は平気で嘘をつく

 

  鄧小平「一国二制度は50年間変わらない」と明言

毛沢東といい、鄧小平といい、

中国の独裁者は嘘に長けた者がその地位につけることを証明している。

毛沢東は自らの失政の後「百花斉放」(百家争鳴)、

「言論の自由」を呼び掛けた。(1956年)

これを信じた多くの論客が毛沢東の政策を批判した。

 

毛沢東はその後「党内に反共の右派がいる」として、

「反右派闘争」を仕掛け、毛沢東批判派約60万人を逮捕、辺境に流刑して、

多くの犠牲者を出した。(1958年)

「百花斉放」は毛沢東が仕掛けた嘘であり罠だったのである。

 

毛沢東の嘘は香港返還を実現した鄧小平にも受け継がれた。

 

中共人大強推「港版國安法」立法,引發香港民眾再度集結上街抗爭,爆發多起流血衝突。(歐新社)

香港民眾昨上街反對「港版國安法」,香港警方動用催淚彈等武器,全面圍堵及驅離,並逮捕近兩百人。(法新社)

香港民眾昨上街反對「港版國安法」,香港警方動用催淚彈等武器,全面圍堵及驅離,並逮捕近兩百人。(彭博)

香港に「国歌侮辱罪」と「国家安全法」を適用して、一国二制度を抹殺しようとする

中国に反対する市民のデモが再燃した。

香港は言論が封殺され権力の暴圧が日常化している。

 

香港は鄧小平の嘘により、英国から中国に返還された。

交渉相手のサッチャー首相は「鉄の女」と称されたが、

3度失脚して4度復活した鄧小平には、いいようにあしらわれた。

北京の「国家安全保障法の香港版」の推進は論争の引き金となった。30年前に香港の裕福な実業家リー・カーシン(右)と会った中国共産党のトング小平(左)は、「1つの国、2つのシステム」は長い間変わらないと約束した。 写真は、1986年に李Kashingとトウ小平会議が表示されます。 (写真はLi Ka Shing Foundationのウェブサイトlksf.orgから取得されました)

その鄧小平は1990年1月、香港の実業家と会談した。

当時の中国は前年6月4日に「天安門事件」が起きて、

多数の市民を虐殺した共産党へ世界から激しい非難が沸き起こっていた。

その非難を意識してのことなのか、

会談で鄧小平は

「一国二制度が変わることはない、変えることは不可能である。

 一国二制度が50年間変わることは絶対にない」と明言したのである。

この会談をTVで見た香港市民は鄧小平の嘘を「信じた」のである。

 

鄧小平は故人となり、今香港の一国二制度を抹殺しようとしているのは、

習近平である。

だから、鄧小平の言葉は嘘ではない、という人もいるが、

歴史を調べれば、一目瞭然である。

1949年、中共が国共内戦に勝利して、「中華人民共和国」を設立する直前、

最高会議を開き、ここで「ウイグル、チベット、香港、海南、台湾は必ず

奪い、支配する」ことを党として議決しているのだ。

その後、ウイグル、チベット、海南は武力で領土とした。

資本主義の発展した香港と台湾へはいきなり武力侵攻出来ないため、

「一国二制度」という嘘を持ち出したに過ぎない。

 

領土を奪い取ることに比べれば武漢肺炎を隠蔽し、嘘をつくことなど

この国の独裁者にとって容易いことなのだ。