そんな事を深夜1時まで8人で話し合いをしていました

割と真剣です


相手の悪い所を知っているから

そもそも尊敬してないから

わがまま言える相手だから

自分と似ているから

素直じゃないから

心が子どもだから

そもそも聞く気がないから


そんな感じの意見が飛び交い

あーだこーだ自分の意見を述べる


そんな中僕が思うのは

絶対的なる安心領域があるからではないかと思う


過去の経験から

相手を不快にさせてもそこまで大きく関係性が崩れる事がない

それがわかっているから

相手から何かを言われても従わなくても良いと無意識的に思っているのではないか

人は楽したい生き物であり

その楽は特に短期的な側面での楽を求める

故に素直に聞いて直さなければいけないわけでもないなら変わらなくてもいいやとなるのではないか


厄介なことは

これが無意識レベルで起こっているという事

間違いなく自覚できていない

いい意味で言えば決断という最もエネルギーを使う作業を最小限のエネルギーで済ませていると言える




ぼくはこの絶対的な安心領域がない人達が精神的に病んでいると思う

本音を言える相手

なんでも話せる相手

なんだかんだ関係性が崩れない相手

これらの多くは家族が担うことが多い


仮に友人にそうゆう方がいる人は

あまり精神的に病んでどうしようもなくなるということは起こっていないと思われます



そんな絶対的な安心領域を提供してくれているのは誰なのか!?

まず第一にその人を大切にする事ですね!!