郷土愛と歴史講演会 | 重力からの救済

重力からの救済

~絶望と希望の弁証法~


某市の某歴史講演会に参加してきた。
会場は、見事なまでに高齢者ばかり。。。若者の姿はない。

30年後、このような講演会は成立するんだろうか?
・・・成立しないだろう。

そう言ったら、某行政マンがそう考える理由を問うので、
「(若者に)郷土愛が無いから」と答えた私。

すると、
「郷土愛が無いからこそ、郷土愛を育むために、
こういった歴史講演会を開催するんじゃないのか」
と答える某行政マン。

わかっていませんなぁ。。。と思った私。

あらかじめ郷土愛があるからこそ、
「わが町、昔はこんな町」
「わが町の歴史は、こんな歴史」
的な歴史講演会に来るのであって、
その逆ではない。

郷土愛があるからこそ、地元の歴史に関心をもつ
のであって、その逆ではない。

だから、郷土愛を育むために歴史講演会を
やってみたところで、郷土愛の薄い若者たちが
来るわけがない。実際、来ていない。

来ているのは、郷土にドップリつかった高齢者だけ
である。

このシビアな現実把握に疎いのが、行政マンである。

もう一度、繰り返す。お客の流れは、

郷土愛→ 歴史講演会  であって、

歴史講演会→ 郷土愛 ではない。

だから、このような講演会は、往々にして、
郷土の歴史の愛好家たちの自己満足的かつ自閉的な
催し物になりがちだ、ていうか、実際なってるし。

講演会の内容は、
今現在、ここに流れている○○川は、
昔は、どこそこに流れてました、とか、
そういった内容で1時間。。。

だから何なんだ、と思った私。。。

私が、この手の歴史講演会を企画していたら、
何でもいいが、必ず現在の問題とリンクさせるだろう。

たとえば現在、介護が社会的問題だと思うなら、
江戸時代の介護事情はどうだったか、
明治時代は? あるいは鎌倉時代は?

過去を調べれば、
なぜ、現在、そのような問題にぶち当たってしまったのか、
が理解できるし、
また、過去の事例から、現代にも活かせそうな工夫、
それも思わぬ工夫、知恵が見つけられるかもしれない。

ただ単に過去はどうでした、こうでした、では、
先の短いオジイチャンたちの暇潰し、でしかないだろう。

それを知ることによって、
何が得られるというのか。。。