努力でどうにかなるものか | 続・大学いも

努力でどうにかなるものか

こないだ久しぶりに絵の具を使って絵を描きました。

高校の美術の授業以来ですかね。

授業のプレゼンで使うポスターの絵を描いたんですが、

友人にはまぁまぁ好評だったのでなんとか責任はとれました。


少し前、とある掲示板で、絵のうまさは先天的か後天的かとう議論を

していたのを見たんですが、僕は先天的かなぁと思います。

というか、ほとんどの才能は先天的なのかなぁと。


一時期、イラストレーターになりたいなぁと思ったこともあったんですけど、

自分の絵の実力をね、客観的に見たら、無理な話で。

絵もね、努力というか、いっぱい描いてれば、

ある程度はうまくなるとは思うんですけど、

やはり限界はあると思うんです。

そこの限界の差が、生まれ持ったものなのだろうと。

僕は絵描くの自体は好きで、授業でノートとるときには、

必ず上のスペースには絵を描くんです。

そうしているうちに、絵はうまくなってるのはわかりますが、

なんか、こう壁を越えられないというか、なんというか。

まぁ、低いレベルでの話ですけど。

自己流なんで、ちゃんと誰かに習ったりすれば、

またそれは成長できる部分もあると思いますけど、

やっぱりセンスは生まれ持ったもんだなぁと思います。


先天的な才能で、努力してもどうにもならないことを

ひしひしと感じたことを一つ。

高校のとき、部活は冬になるとシーズンオフでボールに触らず、

ひたすら走ったり、筋トレにつとめます。

僕は昔から持久走は遅くて、部内でもビリでした。

まぁ、そんな遅いながらも、毎日毎日走ることにより、

少しずつですが、速くなってくるんですね。

これも低いレベルでの話ですが、

10キロ走だったら、4,5分は早くなったと思います。

そんな風に、僕なりになんとか努力していても、

体育の授業での持久走で、

まったく運動していない帰宅部の人にあっさりと負けます。

運動ってのは、先天的な部分が大きいんじゃないすかねぇ。


受験に関して言うと、

高校受験は先天的な才能が大きくて、

大学受験は後天的なもの、努力が大きいのではないかと、思います。

まぁでも東大理3に入る人っていうのは、先天的な才能でしょうけど。