心理カウンセラーの風湖です。
お盆の季節を迎えました。
お盆とは、毎年夏に行われる、先祖や亡くなった方の供養を目的とした仏教行事です。
いろいろな食べ物をお供えして、ご先祖様の冥福をお祈りする、日本古来からの行事です。
私達は、いつか死にます。
それは、どんな人でも避けられない現実です。
しかし、「なにをやっても、どうせ死んじゃうんだから」と、人生を諦めてしまうのは、少し残念なような気がします。
人の死には2種類あると思います。
ひとつ目は「肉体の死」です。
人間をはじめこの世の生物は、体の細胞がすべて活動しなくなれば生きていくことはできなくなります。
どんな人の体も、永遠に活動をし続けることはほぼ不可能です。
もうひとつは、「存在の死」です。
たとえ体が亡くなったとしても、その人の存在を生きている人がすべて忘れてしまった時、「存在の死」、つまり「本当の死」が訪れるのだと私は思います。
その人が存在していたことを、誰か1人でも覚えているのであれば、その人はまだ「生きている」といっていいのかもしれません。
キリストやマザーテレサや、ガンジー、スティーブ・ジョブズ、ダイアナ姫…。
誰でも、命には限りがあります。
しかし、存在の死を遅くすることはできるのです。
私達の人生は、いかに長生きするのかではなく、いかに自分の存在を証明する、何を残していくか、ということに尽きるのです。
成功や、名声や、地位などではなく、「人に何をどれだけ与えたか?」にこだわって生きることのほうが大事なことなのかもしれません。
自分が死んだ時、自分の存在がなくなってしまったことを誰が惜しんでくれるのか。
自分がいかに多くの人に喜ばれる存在であるのかを意識して今を生きてみましょう。
「存在」が語り継がれる間は、その人は永遠に死ぬことはないのですから。