心理カウンセラーの風湖です。




 「人間は、あらゆる人と似ていて、一部の人と似ていて、誰にも似ていない。」


 「おそらくカニは、人間によってなんの断りもなく「甲殻類」に分類されていると知ったら、激しく怒ってこう言うに違いない。『私はそんなものではない。私は私自身だ。私自身でしかないんだ。』」(ウィリアム・ジェームズ著「宗教的経験の諸相」1969年




 私達はよく誰かのことを「こんなタイプの人」という風に考えますが、私達がそう解釈するのはなぜでしょうか。




 人の性格を「血液型」や、「星座」と言った「タイプ」で分類する人は多いと思います。

 しかし実際は、人の行動を他人が判断するとき、性格タイプよりもその状況に大きく左右されることのほうが多いのではないでしょうか。




 たとえば、あなたがレストランで食事をしているとします。

 隣のテーブルに、小綺麗な格好をしたイケメン風の男性2人がいます。




 そのうちの1人が運ばれてきたステーキを「焼き方が良くない」と言ってウェイターに突き返している光景を目にします。




 その時あなたは、彼についてどのような印象を抱くでしょうか。

 


 彼の性格が「自己主張が強い」という印象を持つでしょうか。

 それとも、「食にこだわりがある」という印象を持つでしょうか。




 もしかすると、もう1人の男性が自分の部下で、その人に「俺は自分に相応しいものしか受け入れない人間だ」というアプローチをしているだけなのかもしれません。




 いずれにしてもその答えは見つかりません。

 なぜなら、自分が「他人を判断して、そう思い込めばそれで解決してしまう」からです。




 このように、人をあなたがどう解釈するするのかは、その人の「物語」で判断するのではなく、「タイプ」で判断することのほうが多いのではないかと思います。




 いずれにしても私達は、「他者」の振る舞いの原因を「性格」で捉えるのです。

 反対に、「自分」がなんらかの行動を起こすときには、自然にその時の状況で判断しますから、そこには「性格」や「タイプ」は関係ないはずです。




 人の性格は、自分から見た解釈と、他人から見た解釈でまったく違ってくる可能性のほうが高いのですから、あまり自分を批判するのではなく、成長の過程と捉えたほうが楽になるのかもしれませんね。