心理カウンセラーの風湖です。




 仏教で「我慢」とは、「うぬぼれの心」のことなのだそうです。

 つまり、「自分こそが正しい。他人は間違い。」と、我を通そうとする心のことを「我慢」というそうです。




 よく親が子供に向かって、「我慢できて偉かったね。」などと褒めたりしますが、本来の言葉の意味を考えると、少し間違った表現なのかもしれませんね。




 人は、自分の間違いに気づくことが難しく、また、気づいてもなかなか認めることが出来ないものです。




 よく、「年寄りになるほど頑固だ。」と言われますが、「自分が、自分が…。」の我慢は、歳を重ねるごとに強くなるのかもしれません。




 そういう意味で、自分自身に固執する=強情であることを表すようになり、やがて「自分の意志を通す強さ」に変わり、安土桃山時代~江戸時代には、「忍耐」の意味になって現代まで続いているのだそうです。




 「我慢」は、自分だけを苦しめてしまうことになりますから、なるべくしない方が良いのです。

 しかし、現代社会においては、様々な現象から、いろんなことに「我慢」をしている人はとても多いと思います。




 そんな「我慢」をなくす方法というのは2種類あります。

 ひとつ目は、他人の何十倍も必死に努力をして思い通りにすること。

 ふたつ目は「思い」を持たないことです。




 私達は昔から、「足りないもの」や、「手に入れたいもの」をあげて、努力してそれを手に入れれば幸せになれる、という思い込みがありました。




 しかし、この思い込みはどこまでいっても終わりがありません。

 常に「あれがもっと欲しい」とか、「まだまだ足りない」という「思い」に追われて、心が満たされることがないのではないでしょうか。




 ですから、こだわりや「思い」を持たず、目の前に与えられたことをそのまま受け入れて、それで「よし」とする考え方を持つことです。




 私達には、住む場所があり、ゆっくり眠る布団があり、目が見え、耳が聞こえ、自由に歩くことが出来、誰かと会って笑うことができる。

 それだけで、とても幸せです。

 



 

 幸せとは、幸せの現象があるわけではなく、自分が「幸せ」と感じた時に生まれますし、実は、私達に必要なものは、すべて手に入っているのです。





 必要なものは必要な時にやって来ます。

 喜びも「日常」の中に、幸せも「日常」の中に。すべては「日常」の中にちゃんと整っています。




 「我慢」とは、ないものねだりの結果なのかもしれません。

 「もっともっと」の心からは、幸せを感じる心は生まれないのかもしれませんね。




 なぜなら、今の等身大のあなたに必要なものは、もうすでに揃っているはずなのですから。