心理カウンセラーの風湖です。
「いつも彼を疑ってしまいます。嫉妬したり、依存してしまい、苦しいです。
私は彼といるとき、どのように接していけば関係がよくなるのかわかりません。」
人間関係の悩みは、やはり相手との距離感がうまく保てない時に始まることが多いのかもしれません。
「仁」という字は、「人が二人」と、書きます。
「仁」は英語で「Benevolence」といい、「慈悲心・仁愛」などの意味を持ちます。
儒教が示す大切な徳に「五常の徳」というものがあります。
「五常の徳」は「仁・義・礼・智・信」で構成されていて、古代中国から続く、社会を支える倫理規定であり、目指す心のあり方でもあります。
その中でも「仁」は徳の基本とされるそうです。
「人にして仁あらずんば礼をいかにせん。人にして仁あらずんば、楽をいかにせん。」
という言葉があります。
これは、人を思いやる気持ちがなければ、礼が何になるだろう。人を思うまごころがなければ、楽の音も心には響かない。
と、いう意味なのだそうです。
つまり、相手を思いやる気持ちがなけれが、「礼」は形だけのものになり、音楽も心に響かないということです。すべては「仁」が基本であるということをいっているのです。
たとえば、親は子供に無償の愛を注ぎます。
それは本能的なものなのですが、何かをした時に、子供から「親が子のために、なんでもするのは当然だ。」という態度が見えた時、多くの親は悲しい思いをします。
それでも、「私は子供の頃から親に愛された記憶はない。」と嘆き、自分の親のことが嫌いで、信じられないという方は、もしかしたら、他人のことも嫌いで、信じることが出来ないのかもしれませんね。
そこから、悩み、苦しみが始まるのではないかな、と、思います。
しかし、もしもあなたに無限に「し続け」「与え続けて」くださる人がいるのかもしれないと考えたとき、そんな大きな力に対して、圧倒的に力が足りない私達人間が出来ることはなんなのでしょう。
それは、なにかあっても「当然」と思わず、「ありがとう」と、感謝をすることでしょう。
私も母親として、子供に「ありがとう」と言われたら、その言葉だけでなんでもしてあげたいと思います。
自分がここまで成長してきたのは、自分の力だけではなく、後ろで見守ってくださる優しくて大きな、信頼できる存在があったからなのかもしれないと感謝すれば、きっとまた新しい何かが見えてくるのかもしれません。
「仁」は、なにもしなくてもいいから、ただそばにいてあげる、という文字に見えます。
究極的に行き着く愛の形も、やはり「仁」、つまりそばにいてあげるということなのではないでしょうか。