心理カウンセラーの風湖です。



 先週の日曜日、関東地方は2月なのに気温が20度を超えて、ポカポカと暖かい日がありました。



 一般的に会社や学校はお休みの方が多かったのではないかと思います。



 お休みの日にそんなに気温が上がって暖かくなったら、なんとなく心がウキウキして、家族や友人などと、どこかへ出掛けたくなった方も多いのではないでしょうか。



 季節は移り変わり、早いものでもうすぐ3月ですね。
 日本では、桜が咲き誇る春がやって来ます。



 もしも、年間を通して気温も湿度も一定のところに住んでいたとしたら、「暑い」「寒い」「涼しい」「むし暑い」などの言葉は存在しないのでしょう。



 なぜなら、言葉というのは、その言葉を必要としないと生まれないからです。
 そして、その言葉と対立する概念がないと生まれないとも言えます。



 つまり、「白」という現象があるから、「黒」という認識ができるのです。
 ですから、「幸せ」という現象があるから、「不幸」という言葉も生まれたのですね。



 病気や事故、災難、トラブルなどに遭ったり、子供が怪我をしたとか、ペットが亡くなったりした人は、そのような「不幸」があったからこそ、何もない穏やかな日々が送れることを「幸せ」だと思い、感謝することができます。



 幸と不幸は、生卵のような構造なのだな、と、私は考えます。
 たとえば、卵の黄身を「幸」、白身を「不幸」だとすると、「幸」は「不幸」を通り過ぎたところにしか存在しないと考えることもできます。




 卵をボウルなどに割り入れた時には白身と黄身は分離しています。
 一度混ぜたらもう分けることは出来ません。



 しかし、私達人間が卵料理を作って食べる時にはその方が美味しいですし、味付けも自分好みに自在に調節出来ます。



 私達の人生も、様々な現象が混ざり合い、幸も不幸も両方の味を一緒に味わうからその味の深みを感じるのかもしれません。



 すべての現象はゼロなのです。
 「これは幸せ」とか、「これは不幸せ」と思っている間に、人生はどんどん通り過ぎていってしまいます。
 
 

 「不幸」な出来事によるダメージが大きいほど、その後にやってくる「幸せ」も大きいと感じるものです。



 しかし、当たり前だと思っていることが実は当たり前では無いのです。



 何事も起きず平穏無事に過ごせることが、どれだけ奇跡的なことか…。



 そのことに感謝せずに心配ばかりしていると、人生は寂しく虚しいものになってしまいます。



 「ありがとう」
 当たり前こそ、「ありがとう」なのですね。