心理カウンセラーの風湖です。
最近、巷ではオリンピック関係の責任者でもある、年配の政治家さんの差別発言が話題になっていますね。
その方以外にも、驚くような行動や発言などにより、辞職や活動停止などに追い込まれる有名人や政治家なども多くなってきたような気がします。
私は、個人的にはそのニュースにあれこれ感想を述べられる立場ではありませんが、このような話題をニュースで見るたびに、昔、古文の授業で習った、「徒然草」の中の、あるお話を思い出すのです。
「徒然草」は、吉田兼好が書いたとされる有名な随筆ですよね。
その中に、「高名の木登り」という話があります。
原文は省きますが、その話は、確かこんな内容だったような記憶があります。
「木登りの名人がいた。
その名人がある日、人に指図して高い木に登らせて枝を切らせていた。
とても危険だと思える高さの時にはなにも言わなかったのだが、降りる時になって屋根の高さくらいまで降りてきた頃に『落ちるなよ、気をつけて降りろよ。」と、言葉をかけた。
これくらいの高さになれば、飛び降りたとしても降りられるだろう。なぜ、高いところではなく、この高さで言うのか。と聞くと、その名人はこう答えた。
『目がくらむような高さの時には、人は危ないと思って自分で気をつけるのですが、怪我は、安全なところになって、必ずするものなのです。』
どのような身分の人であっても、賢い人ならば、危険な場所はむしろ『安全だ』と思って気が抜けたところだと知っている。気をつけなければならないのは、むしろ安全だと思った時なのだ。」
つまり、危険だと感じているときは自分で気をつけるので、事故はおこらないのですが、もう安心と油断すると思わぬアクシデントが起きるのだ、というお話なのです。
油断大敵、まさに現代でも、世界中どこでも通用する教訓なのですね。
人間なのだから、「そんなつもりではなかった」という失言や行動があるのは、時には仕方のないことなのですが、油断した時のたった一言で、今までの実績や汗水垂らして働いた苦労がすべて水の泡になってしまうこともあるのです。
しかもそれは、失言だけではなく、少しの気の緩みで思わぬ怪我や、病気などの結果に終わることにもなりかねないというのも、現在の世の中を象徴しているような気がします。
コロナ禍の今、自分や周りの人々を守るため、「もうそろそろ安全になったのではないか」と思って気を抜かないで、怪我や病気をしないようにもう一度慎重になって、気をつけて生活することも、今の私達に求められていることのような気がします。