心理カウンセラーの風湖です。



 「われ思う、ゆえに我あり。」



 デカルトが自著「方法序説」の中で提示した、有名な提題です。



 これは、「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できないゆえに、「私」はこの世に存在することが証明されている、という意味です。


 

 つまり、良いこととか、悪いこととか、それ自らがそこにある(実在する)のではなく、それを感じたり考えたりする人の思考次第で、どうとでも解釈できるということ。


 どうせ人間の解釈でものごとの善悪や良否が決まるものならば、自分にとっていいように解釈すればいいのではないか、ということなのです。


 しかしこれは、自分勝手に、または自分の都合の良いように解釈して、傍若無人に振舞っていいということを意味するのではありません。




 どういうことなのかというと、人生でもたらされるものをすべて受け取るということは、とても大切なことだ。ということなのです。



 多くの人は、良いことだけを受け取って、悪いことや好ましくないことは受け取りたくないと考えて生活をしています。



 しかし、この人生で起こることはすべて中立であって、良いことも悪いこともありません。



 人は、自分で引き寄せたくないと思う事実を朝から晩まで願うことで、結果的に自分がこれだけは嫌だというものを実現させてしまう。ということがたびたびあります。



 それは、そう強く願うことによって、ネガティブな現実ばかりに意識が向いてしまうからなのですね。



 「運を良くしたい」と願う人はとても多いのですが、そう願う人は、ただ「運だけ良くしたい。」と願っていますから、今は「運が悪い自分」なのだと思うことで、どんどん運の悪い現実を引き寄せてしまうのです。



 その一方で、運の良い人は、「自分は運が良い。」と、信じていて、「運を良くしたい。」とは考えていません。
 ですから当然、「これは嫌だ」と思うことも無いのです。



 この微妙な差が、運の良い人生、運の悪い人生を実現してしまうのですね。



 イギリスの劇作家、シェイクスピアも、
 「物事に良いも悪いもない、考え方によって良くも悪くもなる。」
 という言葉を残しています。



 それはつまり、ある出来事は、ある人にとっては素晴らしく良いことであり、ある人にとってはとても悪いことでもあり得るという言葉なのです。



 単に起こる中立の出来事を、どのように解釈して人生に生かしていくかによって、人の人生は決まります。



 「悪いことが起こりませんように」と、恐怖の中で生活するのか、あるいは「私のもとに起こることはすべてベストなんだ。だからすべてを受け止めよう。」という態度で生きるかでは、心の平安がまったく違ってしまいます。



 「良いことも悪いこともまったく無いのだ。」と考えて、そして自分にもたらされることはすべて受け止めようという心構えのみが、運の良い人生を引き寄せるのではないでしょうか。