心理カウンセラーの風湖です。



 仏教の教えの中に、「盲亀浮木(もうきぶほく)」という言葉があります。
 これは、一人一人の誕生は奇跡である。という意味の言葉なのだそうです。



 この世に人間として生まれることがいかに難しく、稀なことなのかという教えなのです。



 盲亀浮木の内容は、
「大海原の底に目の見えない海亀が生きていて、その亀が100年に1度海面に首を出す時、目の見えないはずの亀の首が、偶然にも浮かんでいる木の穴に入る。」
 という、人の誕生がこんなにも奇跡なのだ、とたとえられたお話からくる言葉です。
 



 人がこの世に誕生するのは、それほど素晴らしい幸せだと言っていいのだよ、と、お釈迦様は教えられたのですね。



 毎日なにかとせわしなく、同じような日々を暮らしている私達は普段、そのようなことに思いを寄せることはあまりありません。



 それどころか、人間として生まれたことを当然のように思っていますよね。



 目が見えることが当たり前。
 耳が聞こえることが当たり前。
 自分の足で歩けることが当たり前。



 すべてが当たり前の人は、一生涯「幸せ」がわからないのだと思います。



 しかし、目が見えないこと、耳が聞こえないこと、自分の足で歩けないことは不幸なのかと言えば、そうではありません。



 この世界に生まれたこと自体が、どれほどの喜びであるのか。
 何百億もの魂が人間に生まれたくて仕方がない。順番待ちをしているのだと、仏教では教えてくれているのですね。



 その中から今、70億人くらいの人が、肉体を持って生まれることを許されて生きています。
 それはつまり、私達はものすごく選ばれて生まれて来たことになるのです。



 それなのに、すっかり忘れて、不平不満や愚痴や悪口、文句を言っている人がとても多いのも事実です。



 「周りの人がこうだから嫌だ。」
 「親や家族がこうならよかったのに。」



 実は、周りの人は関係ありません。
 自分の命の全部に感謝なのですね。



 私も時々、それを忘れて他人に目を向けてしまうことがありますが、気持ちをリセットして、心の中にあるバケツの中の砂利を洗い直して、盲亀浮木に感謝したいと思います。