心理カウンセラーの風湖です。



 ある本を読んでいたら、「困った」ことが起きた時には、「面白いことが起きた」と言い替えると、不思議に気持ちが楽になると書かれてありました。



 その中で、「執着」と「面白がる」の心理の違いについて私なりに考えてみました。



 執着というのは、「こうでなければイヤだ」「こうなって欲しい」と、自分の願望が叶って欲しいと願うことです。



 その一方で「面白がる」とは、「そうなったらいいなぁ」「そうならなくても仕方がないけど、でも、そうなってくれたら嬉しいなぁ」「そうなると幸せなのになぁ」と、思って結果を待つことです。



 「こうでなければイヤだ」と、思った時に、それは執着になるのです。



 執着の語源は、仏教用語だそうです。
 「執」という字には、「こだわる」という意味があり、「着」という字には、「くっつく、離れない」という意味があります。



 仏教では、「執着」は苦しみの原因であるとされていて、「執着を捨てること」の大切さが教えられています。




 たとえば恋愛においての「執着」は、いつまでも相手を諦めきれずに片想いをし続けたり、元恋人に気持ちを囚われすぎてしまうということになります。



 一途に相手の幸せを願って思い続けるのは問題ありませんが、「執着」となるとなんとかして自分に気持ちを任せようと相手の迷惑を考えずにつきまとうなどの行動に及んでしまうことが多いのです。



 つまり、「執着」しているということは、過去に視点が向いていることになります。



 しかし、執着を捨てると気持ちが前向きになるので、運気が上昇して行きます。



 過去のことに囚われたり、どうしようもないことに囚われてネガティヴな気持ちで生活していると、またネガティブな出来事ばかりを招いてしまうのです。



 ですから、なんとなく運気が悪いと感じたら、「自分は一体何に執着しているのか。」と考え、一度執着を捨てて前向きな生活をすることで、運気が上昇していることを感じてみましょう。



 視野が広がり、気持ちにも余裕ができるので、小さな幸せに気づき、感謝することができます。



 幸福度をグンと上げることができるというのも、執着を捨てるメリットともいえますよね。



 「こうでなければイヤだ」と、思った時には、「イヤだ」か、「ゼロ」の結果しか持てません。
 しかし、「こうなってくれたら楽しい」と、思った時は、「楽しい」か「ゼロ」なのです。



 「困ったこと」を「面白いこと」に言葉を変えるだけで、嬉しい、楽しい、幸せという喜びが上乗せされるだけの日々になるのですね。