心理カウンセラーの風湖です。



 たとえばあなたが体調を崩して、丸一日、動けなくて苦しんでいたとします。
 しかしその一日があったからこそ、回復した時の自分の身体がこの上なく軽くて嬉しくて、とても幸せを感じます。



 それとは逆に、普段からあまり体調を崩したことがなく、毎日仕事で一日中忙しくしているという方は、体調を崩した時のことを忘れていますから、会社の不満や人間関係にウンザリすることしか考えず、自分の体が健康である価値はわかりません。



 つまり、毎日普通に生活が出来る喜びを感じるためには、その前に「体調を崩してしまって動けない」という、一般的に「つらくて悲しいこと」と言われる現象が存在しなければならないのです。



 「病気になる」の結果として「健康」という幸せが存在します。
 ですから「健康」という幸せを味わうためには、「病気」という不幸を味わわなければならないともいえますよね。



 「病気」と「健康」はワンセットであるとも考えることができます。
 すなわち「病気」は「健康」の前半分の現象だと考えることも出来るのです。



 ある60代の女性のクライアントさんが、ペットロスで悩んでいらっしゃって、このように話してくださいました。



 「数年前に、16年間可愛がっていた猫が突然亡くなりました。
 とても悲しくて、相当落ち込みました。
 今でも思い出すと、涙が出ます。」



 私が、「その後になにか幸運が訪れませんでしたか?」と、聞きますと、その女性はハッとした顔をされて、



 「そういえば、それから数ヶ月後に長男の大学受験と、長女の高校受験の合格が同時に報告され、我が家は幸せに包まれました。」



 と、言っていましたね。



 考え方によっては、その女性に訪れた「愛猫の死」という悲しみは、「子供達の受験合格」という幸せの「前半分」だったということも確かにいえます。



 しかし、考えてみれば、猫が16年間もその家で生きてくれていたことは感謝でしかありませんし、子供達の受験も、目標に向かって子供達が勉強してきた結果であり、偶然でもなんでもないということも言えます。



 それでも、その人にとって感じる、十年に一度しか起きないような「辛い体験」をした人は、その半年以内に「十年に一度しか起きないような嬉しい体験」をするようです。




 幸せも不幸もこの世には存在しないのです。
 そう思う「心」があるだけなのです。



 「幸せ」は、個人にのみ帰属するものです。
 「幸せ」の本体がどこかにあるのではなく、私が「幸せ」だと思えば幸せに、「不幸」だと思えば不幸になります。



 それでも人は、「つらく、悲しく、むなしい」と思うことも確かにあります。
 そんな時は、数ヶ月後に現れる、「自分だけの幸せ」を待ってみるのも悪くないのではないかと思います。