心理カウンセラーの風湖です。
「お金に余裕があったら、自分がやりたいことが出来るのに。」
と、何気なくつぶやく若い男性がいました。
お金持ちになりたいと思ったことは、誰でもありますよね。
占いやおみくじなどをみても、必ず「金運」という項目がありますから、人は「お金がほしい」といつでも願っているのだと思います。
どうしたら、お金は自分の手元に入ってくるのでしょうか。
もしかしたら、人の人生においての永遠のテーマなのかもしれません。
私はお金持ちになったことはありませんので、その方法は分かりませんが、本当のお金持ちというのは、自分が貧乏な頃から「お金があったら…。」とは考えたことはないのだそうです。
「お金をどう貯めるか」などを考えるよりも、「どうやってお金を使うか」を一生懸命考えているということが、お金持ちの共通点なのだそうです。
「お金にゆとりがあったら〇〇が出来るのに。」と、思うのはどうやら勘違いで、お金にゆとりがないという「結果」は実は、「施し」をしていないという「原因」によるものらしいのです。
「富者の万灯より、貧者の一灯」
ということわざがあります。
これは、
「貧しい者の心のこもった寄付は、裕福な人の虚栄のための寄付よりも価値がある。」
という意味のことわざです。
単純な物質的価値や機能で考えれば、裕福な人の寄付の方が影響力は大きいでしょう。
しかし、貧しい人の真心のこもった少しの寄付の方が価値があるということを表している言葉です。
これは仏教の教えから来た言葉なのですが、キリスト教の聖書の中にも同じような文章が書かれています。
聖書の中に書かれている、ルカの福音書21章のエピソードです。
多くの金持ちが大金を寄付する中、貧しい未亡人がコインを2枚を寄付しました。
これに対しイエスは、『この貧しい未亡人は、他のどの寄付者よりも多くの金を入れた。』と、言うのです。
この言葉の背景には、寄付は見栄やプライドではなく、真に神を信じる気持ちから行うべきである、という考え方があるのですね。
神様への寄付に限らず、あらゆるお金の使い方は、金額の問題よりも、気持ちの問題なのではないかと思います。
たとえば、同じものを買うのならば、安い量販店に並ぶのではなく、商店街の小さなお店で買うとか、一休みするのであれば、有名なコーヒースタンドへ行くのではなく、多少遠くても知り合いがはじめたカフェを選ぶとか。
そうすると、お金を使った時に言われる、「ありがとう」の気持ちの温かさががまったく違いますよね。
自分の置かれている状況を顧みず、「もっと困っている人がいるかもしれないから、少しでも役立てて欲しい。」と思ってお金を使うと、神様はそれをじっと見ていて、返してくれるみたいですよ。
しかも、返ってくる時は、倍返しで返ってくるらしいです。
貧しいから出さない。
出さないから戻ってこない。
戻ってこないから出せない。
出せないから貧しい。
この負の連鎖を、どこかで断ち切れたとしたら、お金は流れ始めるようですね。