心理カウンセラーの風湖です。
私はいつも、心理学講座の冒頭の時間に、生徒さん達に前回の授業の日から当日までの生活の中で起きた「good and news」の発表をしていただいています。
どんな小さな出来事でも、本人が「良いこと、そして新しいこと」だと感じる出来事があれば、それを皆さんの前で発表していただくのです。
もちろん、「特に何もありませんでした。」と、言われる方もいらっしゃいます。
しかし、特に何も起こらないということは、実は幸せの本質だと言えるのです。
つまり、人にとっての幸せとは、まさに「何も起きず、普通に、淡々と過ぎていく日常」のことなのではないかと思うのです。
「あれも欲しい、これも足りない。」
と言って、ずっと何かを求め続けている人がいます。
しかし、幸せというのは、「今自分が置かれている日常そのものだ」と考えるほうが、嬉しいし、安心できると思います。
残念なことに人は、病気や事故、トラブルに巻き込まれた時にはじめて、自分が幸せの中で生きていたことを知ります。
たとえば、右手を捻挫して痛くて何も掴めなかったとします。
その方が右利きの人ならば、電話も、お箸も、すべて左手で待たなくてはならないことはとても不便ですから、その時には「不運だなぁ。」と感じます。
しかし、捻挫が治って右手が使えるようになると、「右手が使える事は、こんなにも幸せだったのか。」と、実感しますよね。
誰もが「幸せ」だと思うこととは、実はそのような「すでに与えられているものに気づく」ことなのかもしれません。
「今月はお金が足りない。とても不安だ。」
「彼氏に振られてしまった。とても悲しい。」
「親友に裏切られた。悔しい。」
「上司に怒鳴られた。もう会社に行きたくない。」
自分にストレスを与える人、こと、物のことを「ストレッサー」と、いいます。
しかし、自分がそれをストレスだと思わなければ、それは「ストレッサー」ではなく、ただの「日常の出来事」なのです。
とするならば、これらの出来事は、「罰があたった。」とか、「ペナルティーが課せられた。」とか、「不幸があった。」とかではなくて、「何も起こらないことがどれほど幸せか」ということをわからせるために起こった出来事なのかもしれません。
そういう仕組みがわかると、特に何も起こらない日常を生きている自分が、実は幸せの中にいることを認識することによって、もう災難とは無縁になるのではないでしょうか。
ですから、
「何かが起きてくれたら幸せなんだけど…。」
という考え方では、いつまでたっても幸せにはなれないように思います。
何も起きない、淡々とした日々が続き、普通の生活が、当たり前のように過ぎて行くこと。
それが「最高のgood and news」なのですね。