心理カウンセラーの風湖です。



 だんだん寒くなって来ました。
 早いもので今年もあと2か月あまりですね。



 しかし今年は、いつもとは違う年末年始になりそうです。
 心が安定せず、なにかにすがりたいような気分になる方もいらっしゃるようですね。
 



 昔、ある代官が一休禅師に極楽浄土について尋ねたそうです。



 「地獄や極楽はあるとかないとか言われていますが、どうなんでしょうか。」



 「極楽」は、西方浄土とも言われます。
 西の空は、夕焼けで金色に美しく染まって、まるで極楽のように見えることから、極楽は西にあると、昔は信じられていたそうです。



 これに対して一休禅師は、一説にはこのように書いたそうです。



 「極楽は、西とは言えど東にも、来た(北)道探せば、皆身(南)にある」
 つまり、極楽は自分の身体の外にあるのではない、ということです。




 つまり、「幸せ」の本質を考える時、幸せとは自分の身体の外側にあるものと思ってしまいますが、実は自分の中の考え方にある、という風に捉えることも出来るのです。




 それでも私達は、不安です。
 「このままではいけない。」と、思ってしまうからです。




 特に現在は、世界的にとても不安定な時ですから、これからどんな世の中になって行くのか、分からないことだらけで、ついつい憂鬱な気分になってしまいます。



 これからの自分の生活の安心のために、なにかしなくてはいけないような気がしますから、いてもたってもいられないような感じがして、焦ってしまいますね。




 それは、あなたの信念として、
 「努力は、裏切らない。」
 「頑張れば、なんとかなる。」
 「とにかく必死でやらなければ。」



 そのように考える癖がついているからかもしれません。



 
 「為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
 



    その言葉の意味としては、「強い意志を持って事に当たれば、大抵のことはなし得ることができるのだ」という勇気をもらえる言葉です。 


  「絶対に成し遂げてみせる!」 

   しかし、そんな強い気持ちを持ち続けるのは、人はそう簡単なことではありません。  


 さらに人は、何か困難にぶつかると、すぐにあきらめてしまいます。 
 また、気がついたらついつい楽な方に流れてしまうというのも人間というものです。 


 だからこそ、いつの時代でもこのような、

「頑張って努力すればいつかは幸せになれる。」

 といった意味を持つ言葉が存在するような気がします。


 2013年2月に、イチロー選手は日経新聞のインタビューで、こう答えています。


 「努力をすれば報われると本人が思っているとしたら残念だ。

 それは自分以外の第三者が思うこと。

 もっと言うなら本人が努力だと認識しているような努力ではなく、第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか」


 努力したから成功できるわけではありません。

 それは、屈辱と継続、そしてたゆまない自分へ変革が大切なのです。

 そして、自分を支えてくれるものの存在に気づくこと。


 たとえば…。


 家族がいる。

 仲間がいる。

 家がある。

 健康な身体がある。

 仕事が出来る。

 笑うことが出来る。


 私は毎日お風呂に入ってこう思います。   

「なんだ、今って幸せだったんじゃないか。」


 頑張って努力して、でも、何のために頑張るのでしょうか。幸せになるためですよね?

 だったら今、私と一緒に笑ってみたらいかがでしょう。