心理カウンセラーの風湖です。
「ありがとう」で終われるように生きる
「あたりまえ」のことに気づき
「あたりまえ」を「あたりまえ」にこなし、
「あたりまえ」に感謝して生きる
本当に優しい人とは、どのような人のことなのでしょうか。
本当に感謝したい人とは、どのような人のことなのでしょうか。
心理学の講師をしていると、たくさんの生徒さん達や、セミナーに参加してくださった皆さんから「ありがとうございました。」と、お礼を言われることが多いことがとても嬉しいです。
また昨日は、心理学セミナーに、何年か前に心理学を教えて卒業した生徒さんが参加してくださっていて、「先生にまたお会いできて嬉しかったです。」と言っていただいて、感動で胸が熱くなりました。
私の方こそ、本当にいつもありがとうございます。心から感謝いたします。
自分の存在が「感謝」され、「喜ばれる」という幸せを味わってしまうと、至上の喜びを感じることができますね。
では、「自分の存在が感謝される」ためには、なにをすれば良いのでしょうか。
電車で席を譲ったり、被災地などにボランティア活動に出かけたりするのも良いでしょう。
地域の奉仕活動に参加したり、子供の父兄会に協力したりすることでも良いですよね。
しかし、今すぐにでもできることは、
「誰かのそばにいてあげること」
なのではないかと思います。
「憂う」の隣りに「人」が寄り添って、「優しい」という漢字になりますよね。
時間的に、距離的に、地理的にそばにいるのはもちろんのこと。たとえ距離が離れていても、「精神的」にいつもその人のそばにいてあげることなのだと思います。
特別なことをしなくても、その人が迷っていたり困っているときに、いつもふとあなたのことを考えれば、なんとなくホッとしてもらえたりすることも、「感謝される」ことになるのではないかと思います。
魅力的な人とは、その人が迷っていたり、つらいと思う時に「また会いたい」「あの人と話をしたい」と、ふと頭に浮かぶ人なのではないでしょうか。
フランスの宗教史家、ルナンが残した「イエス伝」によると、イエス・キリストは、4月3日の朝、ピラトの官邸に連れて行かれ、午後3時に絶命します。
ルナンは、イエスの生涯を次のように記しています。
「イエスはこの世では無力だった。
なにも出来なかった。
ただし、苦しむ人を見捨てなかった。
孤独な老人のそばにずっと腰掛けていた。
女達が泣いている時、そのそばにいた。
自分を裏切った者に、恨み言を言わなかった。
イエスの生涯は、ただそれだけだった。」
イエス・キリストは、まさに優しさの塊だったのではないでしょうか。
誰かが苦しくてつらい時、あなたの存在を思い出すだけで心が明るくなったり、前向きになってくれたら、とても嬉しいし、幸せです。
「ありがとう」をたくさん使い、
「ありがとう」をたくさん集め、「ありがとう」で終われるように生きる
「あたりまえ」のことに気づき
「あたりまえ」を「あたりまえ」にこなし、
「あたりまえ」に感謝して生きる